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カテゴリ:ハーバード経済日誌
テレビという巨大メディア
近年のアメリカのメディアを論ずるうえで、テレビの影響の急激な増大を取り上げないわけにはいかない。それがマービン・カルブの授業の第二週で議論した「テレビの隆盛とその力」だ。 現代の政治家のイメージはテレビによって作られる。テレビが政治家を選び、人気や不人気を作り出し、そして最後にその政治家の政治生命を奪うというように、政治家の殺生与奪の権利を握っているのではないか、という問題提議があった。 テレビニュースが登場した当初は、確かにそれほど政治に影響を与えるケースは少なかった。おそらく、そのテレビの役割を決定的に変えたのが、一九六〇年の米大統領選でジョン・F・ケネディとリチャード・ニクソンが行った初のテレビ討論会であろう。それまでも政治家は、効果的にテレビを利用してきた。しかし、この討論会以降、テレビを使ったより洗練された(狡猾な)利用方法が必要であると認識されたという意味で画期的であった。 ニクソンには不運な面と慢心した面があった。八月に膝を怪我して入院、体重が落ち、第一回目のテレビ討論会があった9月26日になっても膝は完治していなかった。ニクソンは病人のように見えた。加えて、ケネディがスタッフと入念な打ち合わせをし、休息を十分に取っていたのに対し、ニクソンはほとんど休まず、選挙運動や討論会のための資料を読むなど緊張した時間を過ごした。 ダークスーツを着たケネディは日焼けして、若くて健康的に見えたのに対し、グレーのスーツを身にまとったニクソンは化粧が必要なほど青白く、不健康で疲れて見えた。 討論自体はお互いに揚げ足を取られないように、慎重な発言に終始した。討論会をラジオで聴いていた視聴者は、ニクソンの慎重な語り口に軍配を挙げる人が多かった。 ところが、テレビを見ていた視聴者は、老人のようにか弱そうにみえるニクソンに政治家としての豊富な経験を見るよりも、ケネディの中に自身に満ちた若き指導者の姿を見た。テレビの中のニクソンは額や唇をぬぐうなど神経質そうで緊張しているのがはっきりとわかった。 一方ケネディは、リラックスして堂々として見えた。ケネディが視聴者や国民に話しかけているのに対し、ニクソンは目の前にいるケネディにしか話しかけなかった、という印象を与えた。 この第一回目のテレビ討論会が、その後の選挙の行方を変えたのだとする人は多い。実際選挙では、若輩のケネディが僅差ながら外交実績のあるニクソンを破った。これ以降、テレビのイメージを最大限利用しようとする動きが主流となるのもこのためだ。 しかし、昨年の大統領候補テレビ討論会を見ていると、そうでもないような気がする。あれだけ失態をさらしたブッシュは、今でもホワイトハウスに居座っている。もちろんテレビが映し出すイメージは選挙でも重視されているだろうが、フォックステレビなどを見ていると、テレビ局自体を取り込み、年がら年中、視聴者を洗脳するもっと大掛かりなシステムが進行中なのではないかと思ってしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.02.08 09:46:18
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