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テーマ:不思議な世界(697)
カテゴリ:不思議な世界
超能力者列伝31(正木和三)
正木和三の中に存在する神(宇宙生命体)が一貫して言っていることは、非常にシンプルで明快である。目先の欲望や執着を捨てて過去完了形で願えばこの世に不可能はない、ということだ。古神道の御鏡御拝之行法に通じるものがある。鏡を直視して自分の中にある神性を拝む。無私の自分が映るまで拝む。すると「我(ガ)」がなくなって、鏡(カガミ)が神(カミ)になるという象徴的な行法だ。 この考えは面白いことに、秋山眞人や北川恵子といった超能力者に共通する主張でもある。たとえば秋山は、スプーンを念力で曲げるとき、曲がってほしいと念じるよりも、スプーンがすでに曲がった状態を思い浮かべるとうまくいくと話している。テレビカメラの前で、あまりにも曲がってほしいと執着したり、自分が曲げてやろうと意識したりすると、全然曲がらないことが多いという(次に紹介する清田益章も同じような事を言っている)。 北川が受け取ったメッセージにも同様なものがある。それは人間が修行して神霊と話したいと願っても無理だという内容で、次のようなものだ。 「人間界の修行のみでは、神霊界への橋渡しを請願する事は不可能であり、むしろ、修行で培われる忍耐や、もろもろのものを忘れ去った時にこそ請願が通る事が多い」 つまり、願いは忘れたころ(執着がなくなったころ)に叶うことが多いという。 私にも思い当たる節がある。私は茨城県に住む画家の海後人五郎宅で、北川恵子とともに木と紙をくっつけるという実験をやったことがある。木は静電気が起きづらいので、プラスチックの下敷きと紙のように簡単にくっつくことはない。しかも、こすらずに紙と木を近づけた場合は、まずくっつかないはずだ。 ところが、海後が造った木彫りの「超能力開発装置」は紙を吸い付けるというので二人で試してみた。北川も私も最初は紙が吸い付かないが、ある瞬間に紙を吸い付けることに気が付いた。頭を空っぽにしたとき、あるいは欲がなくなった瞬間に、紙が木に吸い付くようにくっつくのだ。「くっつけ、くっつけ」と念じているうちは、木と紙はくっつかない。秋山が言うところの「緊張後のリラックス状態」になると潜在能力が最大になるという経験則とも合致するようだ。 正木はこの無欲の能力を使うことにより、1977年10月に実施された関西シニアゴルフ選手権で優勝することができたのだという。その日、正木は第一打を打とうとしたとき、インスピレーションが浮かんだ。 「汝のゴルフ場は足許一メートル四方だけである」 それは神の啓示のようでもあった。正木はこの言葉により、ゴルフの真髄を悟ったという。飛ばそうとか、グリーンの旗のそばに寄せようとか欲に支配されると、必ず失敗する。目の前に川があろうと、池があろうと、バンカーがあろうと、ボールの飛ぶ空中とは何の関係もない存在である。足元にこそ、すべての答えがある。 正木はゴルフ場での「神の啓示」について次のように語っている。「目前の欲望を捨てて、自分のすべきことを黙々とやっておけば、大きな成果が自分のものとなることを(ゴルフを通じて)教えて」くれたのだ、と。 (続く)=文中敬称略 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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