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白山菊理姫

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2007.03.16
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カテゴリ:歴史散歩
台南2
これが鄭成功の像です。

鄭成功

鄭成功は中国・漢民族の英雄なのですが、日本でも二つの理由から親近感がわく人物として知られています。

ひとつは近松門左衛門の『国姓爺合戦』の主人公のモデルになっているからで、もうひとつは実際に鄭成功の母親が日本人だったからですね。

鄭成功は1624年、九州平戸で生まれました。母は日本人の田川松、父は初めは海賊の頭目で後に明朝の遣臣として厦門(アモイ)を中心に活躍した鄭芝竜。14歳で科挙の地方試験に合格、21歳のときにその才能を明王隆武帝に認められ、皇帝の姓(国姓)である「朱」を贈られました。鄭成功自身は恐れ多いという理由で国姓を名乗りませんでしたが、庶民は敬意を込めて鄭成功のことを「国姓爺(注:爺はだんなの意味)」と呼んだそうです。

しかし、ちょうどそのころ、明朝が滅ぼされ清朝が中国を支配するようになります。そこで鄭成功は明朝の再興を目指し、「異民族(満州族)王朝」の清朝を倒す決意をします。まずはオランダが支配する台湾に進攻、オランダ軍を激戦の末破り、台南に「反清復明」の拠点を築きました。

その後も台湾開墾を進める一方、清朝打倒のために各地で戦闘を繰り広げましたが、1662年に死去。息子の鄭経が父の遺志を引き継ぎました。だが清朝は1683年、台湾の鄭一族を打ち破り、台湾を支配するようになりました。

それでも鄭成功の人気は今でも高く、台南には鄭成功の足跡や偉業を称える碑が多く残っています。
(続く)






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最終更新日  2007.03.16 12:37:54
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