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テーマ:不思議な世界(697)
カテゴリ:不思議な世界
▼千里眼「千鶴子」との出会い
福来の心理学の研究は順調に進んでいた。『教育心理学講義』『心理学講義』などの著作を発表、1908年には東京帝国大学の助教授に昇進した。しかしその間にも福来は、催眠がもたらす不思議な現象に心を奪われていた。 その福来が千里眼(透視)能力をもつという御船千鶴子の話に飛びつかないはずはなかった。千鶴子の噂を聞いたのは1909年春のことであった。千鶴子は熊本県松合村に住む御船秀益の次女で、当時23歳ほどの感情豊かな女性だった。あるとき義兄が、当時民間でも流行していた催眠術によって千鶴子に「千里眼ができる」と暗示をかけたところ、その能力が発現したという。 千鶴子が発揮した千里眼の一つに、こういうことがあった。1904年7月15日、日露海戦の最中、沖ノ島付近で常陸丸が撃沈されたとのニュースが報じられた。しかしそのニュースだけでは、知人が所属している第六師団が常陸丸に乗り込んでいたかどうかわからない。 そこで義兄は千鶴子に催眠術をかけて第六師団の兵士が常陸丸に乗っていたかどうか尋ねた。そのとき千鶴子は「第六師団の兵たちはいったん長崎を出発したが、途中で都合により引き返したため、常陸丸には乗っていない」と答えた。それから三日後に第六師団の兵から家族に入った連絡により、千鶴子の透視が事実であったことが確認されたのだという。 このことがあってから義兄は、覚醒中の千鶴子に対し深呼吸をして無我の境地になれば万物が透視できると告げ、毎日瞑想するよう命じた。すると千鶴子は、催眠誘導がなくても深呼吸することにより千里眼能力を開花させていったという。梅の木の中にいる虫が見えたり、海辺で落とし半ば砂に埋もれた指輪を見つけたり、ブリキ缶や封書に入れた名刺の名前を当てたりして、皆を驚かせるようになったのである。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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