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白山菊理姫

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2007.11.09
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テーマ:いい言葉(576)
カテゴリ:文学・芸術
喜劇のバラ5

現代のフェミニストの観点からは到底受け入れることができない問題喜劇『じゃじゃ馬馴らし』の中にもバラは登場します。

She looks as clear as morning roses newly washed with dew.

彼女は朝露に洗われたバラのように輝いている。

これだけ読むと、甘い愛の告白のような台詞ですが、実はそうではないんですね。これには裏があります。持参金目当てで、じゃじゃ馬娘カタリーナとの結婚をもくろむペトルーキオが、力ずくならぬ「口ずく」で強引に結婚を決めてしまう作戦を独白する場面なんですね。

前後の台詞を紹介するとこうなります。

Say that she rail; why then I'll tell her plain
She sings as sweetly as a nightingale:
Say that she frown, I'll say she looks as clear
As morning roses newly wash'd with dew:
Say she be mute and will not speak a word;
Then I'll commend her volubility,

彼女がののしり始めたとしよう。ならば私は率直にこう言おう。
ナイチンゲールのように美しく歌いますね、と。
彼女がしかめ面をしたならば、朝露に洗われた
バラのように輝いていますね、と言おう。
彼女が黙り、口をきかなくなったら、
私は彼女の雄弁を褒め称えよう。

ここに出てくるsay that~は「たとえば~だったら」というような意味になります。一行目のwhyは、「まあ」などと訳す間投詞。最後の行のcommendは「たたえる」、volubilityは「多弁」「おしゃべり」ですね。

ペトルーキオの作戦はどうやら、カタリーナが何を言おうと、それと正反対のことを言って、強引に結婚を決めてしまおうということのようです。実際、その作戦は功を奏し、ペトルーキオはまんまとカタリーナと結婚することに成功します。

ここからペトルーキオによる「じゃじゃ馬馴らし」が始まるのですが、その内容がひどいんですね。フェミニストならずとも怒りだしたくなるやり方です。食べさせない、眠らせない、着飾らせないの「3ナイ作戦」です。完全なドメスティック・バイオレンス。肉体的、精神的苦痛と同時に、夫が「黒と言ったら白でも黒」といったような洗脳も始まります。統一教会も真っ青です。そしてとうとう劇の最後には、カタリーナは「妻は常に夫に従うべきである」と演説をぶち上げるほどになってしまいます。まさに男尊女卑を掲げる、世の男どもの思う壺です。

どうです、ひどい劇でしょう。この内容ではとても現代の劇場で演じることはできませんね。ところが、この一見、男尊女卑に思える「ひどい劇」も、シェイクスピアの罠かもしれないんですね。

この劇の構成は実に面白く、ほとんどが劇中劇になっています。しかも「本当の劇」の部分は、最初しか出てきません。その「本当の劇」とは、次のような内容です。

飲み屋の女将に追い出され、道端で寝転がっていた飲んだくれの職人スライ。そこへ領主が通りかかり、スライに悪戯をすることを思いつきます。スライが本当は領主で、これまで「眠り病」にかかって悪い夢を見ていたにすぎないのだと、だますのです。酔いから醒めたスライは、豪邸の豪華なベッドの上におり、召使にかしずかれます。目の前にあるご馳走や、召使の言葉にスライはだんだん、自分が領主である気がしてきます。もう有頂天。そこへ旅芸人の一座がやってきて、スライは初めて劇を観ることになるのですが、それがペトルーキオとカタリーナが出てくる「じゃじゃ馬馴らし」なんですね。

しかし問題は、本来なら劇中劇「じゃじゃ馬馴らし」が終わったところで、再びスライが出てくる「本来の劇」に戻るはずなのですが、劇中劇の終わりがこの劇の終わりになってしまいます。スライのその後がどうなったか、観客は知らされません。もっとも劇が終わるころには、スライのことをすっかり忘れている観客も多いのではないでしょうか。

ここにシェイクスピアの巧妙な仕掛けがあるのではないかと、私は思います。つまり、男尊女卑の「じゃじゃ馬馴らし」のストーリーは、腕っ節の太い(?)飲み屋の女将に放り出された、か弱きスライが見る「つかの間の夢」、つまりさえない男のファンタジーのようなものなわけです。シェイクスピアはあえて、スライの物語を完結させないことで、スライと観客を「夢」の余韻に浸らせたことになります。

酔っ払いがいきなり領主になるのがありえないのと同様に、尻に敷かれている夫が妻を尻に敷くことなどありえない、ということをシェイクスピアは言っているのかもしれませんね。

今日はバラに、つかの間の夢でもご覧ください。

バラ






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最終更新日  2007.11.09 12:57:33
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