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カテゴリ:歴史散歩
heliotropeさんのおかげで、昨日紹介したオールドローズ「スヴニール・ド・ラ・マルメゾン」の名前の由来がわかりました。写真の薔薇ですね。
![]() 「悪の家の思い出」ではなく、「マルメゾン宮殿の思い出」という意味でした。「マルメゾン宮殿」は当初、ナポレオンの奥さんだったジョゼフィーヌが1799年に購入したパリ郊外の古びた館だったようです。ナポレオンのエジプト遠征中に勝手にジョゼフィーヌが買ったらしく、エジプト遠征から帰ったナポレオンは驚きます。 実はナポレオンが驚いたのはそれだけでなく、ジョゼフィーヌが自分がいない間に騎兵大尉と不倫をしていたことも知って憤慨します。離婚を思い立ちますが、周囲の説得により思いとどまったそうです。こうして古びた館は改修、改築され、マルメゾン宮殿に生まれ変わります。 しかし人生は皮肉なものです。それまで浮気ばかりしていたジョゼフィーヌが徐々に夫だけを愛するようになったのに対して、ナポレオンはジョゼフィーヌに対する熱烈な愛情が冷めてゆき、愛人を作るようになるんですね。そしてナポレオンは愛人との間に子供をもうけます。それまでジョゼフィーヌとの間に子供ができなかったナポレオンは、自分に生殖能力があるとわかり大喜び、その時点でジョゼフィーヌとの離婚を決意します。 1809年、子供ができなかったという理由で離婚を告げられたジョゼフィーヌは、マルメゾン宮殿にこもり、趣味であった薔薇の収集に情熱を注ぐようになったようです。日本や中国など世界中から薔薇を取り寄せています。 宮殿の庭には、250種類の薔薇を植え、後世の人々のためにと、集めた薔薇をベルギーの画家ルドゥーテ(「薔薇の画家」として知られています)に描かせて記録に残してもいるんですね。そのルドゥーテの書いた『バラ図譜』は「薔薇のバイブル」となりました。 ジョゼフィーヌ没後も彼女の造営した薔薇園では原種の蒐集、品種改良が行われ、19世紀半ばにはバラの品種数は3,000を超え、これが観賞植物としての現在のバラの基礎となったそうです。ジョゼフィーヌはモダンローズ誕生の母でもあるんですね。 そのようなわけで、スヴニール・ド・ラ・マルメゾンは皇妃ジョゼフィーヌに捧げられた薔薇でもあったんですね。 マルメゾン宮殿の昔のスケッチと内部の様子はこちらをご覧ください。 現在のマルメゾン宮殿の写真はこちらです。 ジョゼフィーヌの話題ついでに、先日紹介したナポレオンの帽子「シャポー・ド・ナポレオン」のその後の写真を紹介しましょう。 ![]() 5月11日に撮影したものですが、帽子から濃いピンク色の花弁が顔を出していますね。 ![]() ナポレオンとジョゼフィーヌのお話でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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