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テーマ:ヨーロッパ旅行(4209)
カテゴリ:歴史散歩
タラの丘では、ほかにも面白い巨石遺構や構造物が見受けられます。
教会のそばに立っている、この二つの立石もそうです。 ![]() いつのころから立っているのかわかりません。少なくともケルトの人々は、この石を使って儀式をしていたのではないかと言われています。伝説では、古代の王は馬車でこの二つの石の間を通らなければならず、王にふさわしい人物が乗っていれば、二つの立石は道を開け、そうでないと石のゲートは閉ざされ、馬車が通ることができなかったとか。 王はさらにもう一つ試されたらしく、先日ご紹介した王の即位式に使われたという立石も、王にふさわしい人物が触ると、うなったそうです。 これがその「玉座」とも呼ばれる立石の別カット。 ![]() 左手奥に見えているマウンドは、「捕虜の塚」と呼ばれる人工物で、紀元前2500年ごろ造られたとされています。ケルトの人々がやって来るずっと前の時代から、この丘が使われていたことがわかります。この塚の中には、模様が刻まれた巨石が見つかっています。 もう一つタラの丘で注目されるのは、両サイドを盛り土された滑走路のような空間でしょうか。縮小しているのでわかりづらいかもしれませんが、この写真です。 ![]() 巨大な舞踏会場のようなので「宴会場」と呼ばれていますが、ストーンヘンジのそばにあるカーサスという直線の台地を思い起こされます。タラの丘も、ストーンヘンジと同様に古代巨石文明をもたらした人々による複合施設であったのは間違いないでしょう。さまざまな儀式や集会が行われたのだと思います。それを後からやって来たケルトの人々が再利用したというのが、真相のような気がします。 タラの丘を後にして、次は紀元前3500年ごろ建造されたとみられる、ボイン渓谷の巨大な墳墓群を見に行きました。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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