4832212 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

天の王朝

天の王朝

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

白山菊理姫

白山菊理姫

フリーページ

サイド自由欄

設定されていません。
2011.06.10
XML
カテゴリ:歴史散歩
タラの丘では、ほかにも面白い巨石遺構や構造物が見受けられます。

教会のそばに立っている、この二つの立石もそうです。

tara

いつのころから立っているのかわかりません。少なくともケルトの人々は、この石を使って儀式をしていたのではないかと言われています。伝説では、古代の王は馬車でこの二つの石の間を通らなければならず、王にふさわしい人物が乗っていれば、二つの立石は道を開け、そうでないと石のゲートは閉ざされ、馬車が通ることができなかったとか。

王はさらにもう一つ試されたらしく、先日ご紹介した王の即位式に使われたという立石も、王にふさわしい人物が触ると、うなったそうです。

これがその「玉座」とも呼ばれる立石の別カット。

tara

左手奥に見えているマウンドは、「捕虜の塚」と呼ばれる人工物で、紀元前2500年ごろ造られたとされています。ケルトの人々がやって来るずっと前の時代から、この丘が使われていたことがわかります。この塚の中には、模様が刻まれた巨石が見つかっています。

もう一つタラの丘で注目されるのは、両サイドを盛り土された滑走路のような空間でしょうか。縮小しているのでわかりづらいかもしれませんが、この写真です。

tara

巨大な舞踏会場のようなので「宴会場」と呼ばれていますが、ストーンヘンジのそばにあるカーサスという直線の台地を思い起こされます。タラの丘も、ストーンヘンジと同様に古代巨石文明をもたらした人々による複合施設であったのは間違いないでしょう。さまざまな儀式や集会が行われたのだと思います。それを後からやって来たケルトの人々が再利用したというのが、真相のような気がします。

タラの丘を後にして、次は紀元前3500年ごろ建造されたとみられる、ボイン渓谷の巨大な墳墓群を見に行きました。
(続く)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011.06.10 21:53:43
コメント(2) | コメントを書く


キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

simo@ Re:新刊『UFOと交信すればすべてが覚醒する』の解説(03/21) こんにちは。初めまして。 昨年妻が海で撮…
たぬき@ Re:ニニギの兄に祭り上げられたホアカリの正体(03/12) ホアカリ。 徐福が秦の始皇帝の使節を隠れ…
たぬき@ Re:サノノミコト(神武天皇)になぜ神が付いたのか(07/29) ジンム。と読まずに 大和言葉風味、古代語…
正木 ベータ@ Re:不思議な世界(その94)(05/13) こんにちは。初めてコメント致します。 不…

お気に入りブログ

竹内睦泰の超速!日… New! 第七十三世武内宿禰さん

広島訪問 Grulla Me… convientoさん

氣のワーク研究所 朝日6844さん
窓辺でお茶を heliotrope8543さん
ひめのゆめ活動日記 ひめのゆめさん

カレンダー

バックナンバー


© Rakuten Group, Inc.
X