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カテゴリ:歴史散歩
大和三山の配置が人工的なのは、火を見るよりも明らかです。
夏至の日の出ラインである葛城山と三輪山を結んだ直線と平行になるように、畝傍山から直線を引くと、それが耳成山と天香久山を結んだ直線の垂直二等分線になるように三山は配置されています。 では伊予三山はどうでしょうか。 すぐにわかるのは、星岡山と土亀山を結んだ直線がまさに松山平野を見渡す山である城山を通るんですね。 城山は勝山とも呼ばれる標高132メートルの山です。 その頂上には松山城が鎮座しています。 道後温泉から見た松山城と城山。 ![]() 奥に見えるのが城山と松山城です。 まさに松山市に君臨しているという感じの山です。 おそらく土亀山は、この城山と星岡山を結んだ直線上に3対1になるように配置された”人工山”であったのではないでしょうか。 それでは天山と東山はどうでしょうか。 この二つの山を結ぶと、御幸寺山(みきじさん)という標高164.6メートルの目立つ山に至ります。 国土地理院の地図やインターネットの写真を見ると、ギザのピラミッドを彷彿させるような三角形の綺麗な山です。 もしかしたら私も撮影していないかなと思って探したら、多分これだという山が写っていました。 それがこちら。 ![]() 右端に写っている三角形の山がおそらく御幸寺山です。 左手奥には城山と松山城が写っていますね。 位置関係はこんな感じです。 で、手前に写っているこんもりとした森は、道後公園の中心にある標高71メートルの小山です。 ちなみに写真は、この日泊まった道後温泉のホテルから撮影したものです。 付け加えると、土亀山は、道後温泉の湯元の辺りと東山を結んだ直線上にも位置しています。 このように、目立つ山と山を結んで、人工山を配置したり都を造ったりするのは、古代人の風水測量師がいたからではないでしょうか。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.09.29 18:48:49
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