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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史散歩
翌14日は、葛木山麓にある賀茂氏ゆかりの神社をめぐりました。
最初は鴨都波神社。 ![]() 奈良県御所市にあります。 高鴨神社を上鴨社、御歳神社を中鴨社と呼び、この鴨都波神社は下鴨社と呼ばれています。 ![]() この神社の凄いところは、ご祭神であるツミハヤエコトシロヌシの正式名称が伝わっていたことです。 その正式名称は「鴨都味波八重事代主命」。だから鴨都波神社と呼ばれるようになったわけです。 この正式名称の意味は、ツミハヤエコトシロヌシがアヂスキタカヒコネ(鴨)の直系であることを示しています。 だからツミハヤエコトシロヌシの息子クシミカタが「鴨王」と呼ばれたわけです。 父親に賀茂の血が入っているから「鴨王」と呼ばれたんですね。 同じように父親に賀茂の血が入っているから賀茂と呼ばれた神がいましたね。 そう、京都の上賀茂神社のご祭神です。 勘のいい人ならわかりますよね。 そうです。それが正解です。 記紀をよく読んでください。 神武妃となったヒメタタライスズヒメの父親は、「コトシロヌシ」と呼ばれたり、「オオモノヌシ」と呼ばれたりしています。 はっきり書けない事情があるわけです。 その事情とは、何度も言いますが、スサノオの直系であることを明らかにできないというルールです。 だけど滅茶苦茶間違ったことも書けない。 そこで折衷案として、イスズヒメは「事代主の娘」(『日本書紀』)とか、「大物主の娘」(『古事記』)と書いたわけです。 『日本書紀』はある意味あっていますよね。なぜならオオナムヂの息子のコトシロヌシとは別人の、アヂスキタカヒコネの直系のコトシロヌシがいて、それがカモツミハヤエコトシロヌシだからです。 コトシロヌシには「三種類の事代主」がいることは『日本書記』にもきちんと示唆されています。 機会があれば詳しく説明しますが、「天の事代、虚空の事代、玉櫛入り彦・厳の事代」って、まさに書いたまんまの三種類の事代主です。 では『古事記』はどうして「オオモノヌシの娘」としたのでしょうか。 でも『古事記』をよく読んでください。 オオモノヌシが丹塗り矢に変身して、さらにハンサムな若者に変身してイスズヒメが生まれたと書かれているでしょう。 丹塗り矢がオオヤマクイでハンサムな若者がツミハなら、すべて辻褄が合いますよね。 でもそんなことは書けませんから、わざとイスズヒメの曽祖父であるニギハヤヒことオオモノヌシが「見初めて生まれた娘」と書いたわけです。 オオモノヌシのことをオオトシだと知っている人はほとんどいませんから、まさかスサノオの直系だとはバレないわけです。しかも大筋において嘘は書いていない。 『古事記』や『日本書紀』の編纂者は非常にクレバーですよね。実に賢い。しかもウィットに富んでいます。 記紀はこのように読んで行けばいいわけです。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.04.05 22:36:40
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