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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史散歩
正統竹内文書の口伝をもってしても出自がわからないというオオナムヂ――。その出自を臭わせるようなヒントは記紀神話の中で「葦原色許男」の「葦原国(スメル)」以外にあるのでしょうか。
実はそれらしいヒントが「国譲り神話」などの中に隠されています。 一つは、オオナムヂが出雲国を平定したタケミカズチに対して、降服する代わりにある条件を出したことと関係します。 それは自分のために巨大な神殿を建造することを求めたことです。 なぜオオナムヂは自分のための巨大な神殿建造にこだわったのでしょうか。 素直に解釈すれば、出雲国の国作りに多大な貢献をしたオオナムヂが、功名心などからその業績を後世に伝える大きなモニュメントを作ってほしかったのだろう、と読むことはできます。 しかしながら、もしオオナムヂが古代イスラエル人の血を引く人物であったならば、「巨大な神殿」にはその血統に結びつくような理由があったことが考えられますね。 そこで私は『旧約聖書』にそのような物語が書かれていないかどうか調べてみました。 すると、「ヨシュア記」の第22章に次のような逸話を見つけることができました。 時代は、イスラエルの統一王朝ができる前、紀元前12~13世紀のことでしょうか。モーセによる「出エジプト」に成功したイスラエル12支族は、荒野をさまよった後、モーセの後継者ヨシュアが軍事的指導者となった時代にカナン(パレスチナのこと)の地に侵攻、その地を武力で征服しました。 そのときクジによって各支族に領地が分配され、ルペン族とガド族、それにマナセ族の一部にはヨルダン川の西岸ではなく、東岸地域が与えられました。 つまりイスラエル12支族は、ヨルダン川を挟んで東西に分断されたわけですね。 この分断があらぬ疑惑と摩擦を生じさせます。 直接の発端は、ヨルダン川東岸地域を分配されたルペン族とガド族、それにマナセ族の一部が、ヨルダン川西岸地域に移住した他の支族と同胞であることを示す証として、ヨルダン川のほとりに「大きくて遠くからも見える祭壇」、つまり巨大神殿を築いたことでした。 同胞の証として建造した巨大神殿でしたが、ヨルダン川西岸地域の支族たちは、そうは考えませんでした。 「東岸地域の人たちが勝手にイスラエルの神ではない異なる神に捧げようとする祭壇を築いた。それはイスラエルの神に対する反逆である」として東岸地域の支族を攻め滅ぼそうとしたんですね。 慌てたのは東岸地域の人たちです。西岸地域の同胞たちに、自分たちを攻め滅ぼさないように必死で説得します。 「ヨルダン川が境となってしまったからには、将来あなたがたの子孫が私たちの子孫に向かってイスラエルの神とは関係のない民であるとみなすかもしれない。そうならないように、同じイスラエルの神に仕えていることを示す証拠として祭壇を築いたのです」と。 一度は攻め滅ぼそうとした西岸地域の人々ですが、東岸地域の人たちの必死の説明に納得して、矛を納めました。 この「滅ぼされかかった東岸地域の人々」が、出雲族のオオナムヂに心情的に重なります。オオナムヂにとって日向族は敵ではなく、同胞であったはずです。 それはそうです。オオナムヂは日向族アマテラスの娘(タギリヒメ)とも結婚していますからね。 ところが、奇襲作戦で日向族に滅ぼされかけたわけです。 オオナムヂには同じ民でありながら攻め滅ぼそうとするのか、という憤慨の気持ちがあったのではないかと思います。 それぞれたどった道は異なったが、同じようにスメル(葦原国)から日本(葦原中国)に辿り着いた同胞ではないか、とオオナムヂは主張したかったのかもしれません。 血縁においても親密であるはずなのに、オオナムヂをあたかも敵であるかのように扱うだけでなく、実際に日向族は武力で侵攻してきたのですから、オオナムヂが憤る気持ちもわかりますね。 そこでオオナムヂは「ヨシュア記」に記されている巨大神殿の話を引き合いに出して、同じ仲間、同胞であったという証拠として、あるいはささやかな抵抗の意味を込めて巨大神殿の建造を交換条件にしたのではないでしょうか。 しかも、これは次回説明しますが、オオナムヂはヨルダン川東岸地域を分配されたダン族の出身であった可能性も高いのです。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.09.15 15:57:51
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