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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史散歩
イシク湖周辺に逃れてきた大月氏は、もともとそこにいた塞族(そくぞく)の王を倒して、一時その地を支配しました。しかし紀元前2世紀に遊牧国家・烏孫(うそん)に追われて、さらに西へと逃れ、アム河畔に移ります。
そこで大月氏はアム川の南にある大夏を征服、東西交易で繁栄して一大国家を樹立します。 大国家は100年ほど続きましたが、大月氏の諸侯の間で争いが生じ、内部分裂。それでも主にクシャーナ朝として3世紀ごろまで存続したことがわかっています。 一方小月氏も、チベット高原からパミール高原にかけて存続していたことが、三世紀の三国時代の記録に残っています。 このように歴史を読むと、月氏は紀元前3世紀ごろから敦煌を中心とするシルクロードの重要拠点を支配した一族で、3世紀ごろまでの約600年近くにわたってシルクロードの要衝を抑えていたことがわかります。 シルクロードに拠点があったわけですから、当然中東から東へのルートも熟知していたと考えるべきです。 しかも氏族の名前から考えても、彼らは月を読む、すなわち天体から暦を読む人たちであったわけです。間違いなくツクヨミ族の一派ですね。 その中の一群の中に大国主ことオオナムジがいたのではないかと私は睨んでいます。 オオナムジはおそらく紀元前1世紀ごろ活躍した月氏族(月読族)の子孫であったのではないでしょうか。それも葦原国(スメル)に起源をもつツクヨミ系古代イスラエル人であった可能性も否定できませんね。 彼はシルクロードを使って日本に渡来、ツクヨミ族や古代イスラエルの医術や国作りの知識を持っていたからこそ、スサノオに抜擢されて出雲国の王に慣れたのではないかと思っています。そうすると、巨大神殿建造や神在月の儀式がなぜオオナムジの国で行われたのか説明がつきます。 また、古代イスラエルの血を引くからこそ、オオナムジの子タケミナカタが祭神として祀られている諏訪大社でも古代イスラエルの儀式を彷彿とさせる御頭祭や御柱祭が開かれるようになったのだとしたら辻褄が合います。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.09.20 18:22:18
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