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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史散歩
オオナムジ、ナガスネヒコ、徐福、秦氏、それぞれの関係について論じましょう。
オオナムジも徐福一行の子孫であった可能性あることは既に説明しましたから、オオナムジも当然、「秦氏」であるかもしれませんね。 そのことを弓月の君の一族が知っていたら、オオナムジもナガスネヒコも秦の時代の同族出身であると判断した可能性があります。 もちろん現在知られている歴史では、徐福たちは秦の始皇帝を裏切って日本に行ったまま復命しなかったと考えられていますから、始皇帝の子孫を名乗る弓月の君たちから見れば彼らは裏切り者の子孫であり、決して同族ではありません。 同族ではありませんが、同じ「秦」という時代を生きた同郷の人たちの子孫ではあるわけです。 そこで弓月の君たちは、彼らを同郷人という意味で「秦氏」と見なした可能性は大きいのではないかと思います。 そう考えると、なぜ『秦氏本系帳』でオオナムジの子であるタケツノミを「秦氏」と呼んだかが理解できます。オオナムジが徐福一行の子孫であることを知っていた、あるいはそう思っていたからですね。 実は中国では徐福=神武天皇説という見方があります。 紀元前3世紀と紀元1世紀では300年ほど時代が合いませんが、徐福一行の子孫であるとしたら、一応辻褄は合います。 既に説明したように、神武天皇はオオナムジの直系である可能性が強いからです。 神武はタケツノミの直系であるイスズヒメと結婚しましたが、それよりも神武は父が天香山だとすると、オオナムジの娘とみられるタカテルヒメの直系であることになります。 神武=徐福説は明白な間違いですが、神武=徐福一行の子孫説は十分にありうるわけです。 徐福の熊野来航伝説もこの説を支持する根拠になりえます。 神武の父の可能性がある高倉下こと天香山は熊野の神「クマノクスビ」でもあります。 熊野が徐福一行の拠点であったとすると、その子孫の天香山が熊野の地を支配して、武器や食料の倉庫(高倉)を管理していたとしても不思議はありませんからね。 その天香山は、徐福の直系とされるミカシキヤヒメの娘ウマシホヤヒメと結婚しています。 徐福一行の子孫であるオオナムジの直系と徐福の直系がここで再び合流したとも解釈することができます。 このように、弓月の君らが来日する以前に、既に別系統の「秦氏」である徐福およびその一行が日本に渡来して、熊野や大和を支配していたのだと考えると、彼らの子孫の可能性がある、強力な弓を持つナガスネヒコや薬学や国作りに長じたオオナムジが日本建国史の舞台で活躍していたとしても不思議は全くありません。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.11.14 14:11:20
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