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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史散歩
こうして出雲と大和の和睦がなされたわけですが、オオナムジとナガスネヒコの争いを仲裁したオオドシはそのとき、どこを支配していたのでしょうか。
それにはオオドシをご祭神とする神社を見ていく必要があります。 そのオオドシこと天火明を主祭神としている有名な神社が、京都府宮津市の籠神社(このじんじゃ)です。 京都の北、天橋立のある風光明媚な観光地にあります。 丹後国です。 ですから、スサノオの出雲国を受け継いだ大国主ことオオナムジが因幡国までを支配していましたが、オオドシの丹後国を迂回、あるいは経由して近畿地方へと兵を進めたというシナリオが浮かんできますね。 オオドシはスサノオの子で、四男とされています。 竹内氏によると、親子喧嘩して出雲国とは袂を分かったそうですから、どうやら丹後国の王になったのではないでしょうか。 その身内でもある丹後国と戦争する理由はオオナムジにはありませんでした。 ところが丹後国を迂回、あるいは素通りしたものの、いざ河内地方でナガスネヒコと戦ってみたら、軍事力に圧倒的な差があり、オオナムジは退却を余儀なくされました。 で、琵琶湖まで退却したところで、丹後国の天火明の水軍に助けられたというわけです。 天火明の水軍に助けられたオオナムジ軍は河内国まで盛り返し、そこで和議となったのではないでしょうか。 地政学的にはありうるシナリオですね。 ここで、なぜオオドシが天火明と呼ばれるようになったかも説明しておきましょう。 アマテラスの天孫族(日向族)の娘を政略結婚でもらっているからです。 一人はアメチカルミヅヒメで、もう一人はアメノミチヒメことタカテルヒメです。 どちらも「天」がついているから天孫族であることがわかります。 オオドシが天孫族の系図に組み込まれたから天火明となったわけです。 オオドシの子・大香山(おおかぐやま)が天孫族の系図に組み込まれて「天香山(あめのかぐやま)」になったのと同じです。 それはともかく、三部族の和合によって、出雲地方から大和地方までが政略結婚などを通じて一つにまとまったわけです。 出雲と因幡はオオナムジ、丹波・河内はオオドシが統治王となり、ナガスネヒコが軍事王になったのかもしれません。 オオドシの子・オオヤマクイは山城国、同じくオオドシの子の天香山は紀伊国を支配していたことが『古事記』の記述や神社の主祭神の名前から推察できます。 アヂスキタカヒコネ改めタケツノミは、葛城地方や河内の三嶋地方を最初は統治、その後、オオヤマクイとの政略的な結婚を進めることにより山城国を統治するようになったのではないでしょうか。 しかしながら、これではまだバランスを欠いていますね。 これでは日向族が希薄になってしまいます。 そこで「神武東征」というシナリオが必要になるわけです。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.11.25 12:52:02
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