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テーマ:旅のあれこれ(10119)
カテゴリ:歴史散歩
「自分の願望や欲が作り出す映像と、啓示的に飛び込んでくる映像を明確に区別するのが大事」と言われても、簡単にできるわけではありませんね。
私も試行錯誤して、現在も続けているところです。 それでも、ある程度のコツならわかります。 何といってもまず、その啓示を受けた時の自分の心の状態をよく精査することです。 何か自分の欲や願望が混ざっていないか、何かに先入観を持っていないか、自分が何をするかという確固たるテーマを持っているか、をチェックすることです。 先入観や欲望、願望を排除した心の状態で、明確な目的をもちつつ、(無に近い状態で)あるがままのすべてを受け入れることができたら、それは何らかの啓示である可能性が高いと思っています。 人間は感情の動物ですから、どうしても感情の分厚いフィルターが掛かってしまって、正確な啓示(あるいは霊感)を受けることができないんですね。 そこが難しいところです。 たとえば私は、2006年12月に退行催眠にかけてもらって前世の映像を見ています。 これも『異次元ワールドとの遭遇』に書かれていますので詳しくは書きませんが、その時の私の心の状態は、少なくとも「東経137度11分に存在する羽根ラインの謎を解くために、同ラインに関わる私の前世を見る」という明確な目的を持っていました。 「ただ前世を見たい」では、興味本位的な映像しか見られないところが、オカルトの奥床しくて面白いところです。 その人の心の状態がどうしても反映されてしまうのです。 退行催眠の前半部分では、やはり私の願望交じりの意識が影響して、私が想像できそうな映像ばかりが現れました。 しかし、そのうち意識が疲れて、ボーっとし始めると、私がそれまでまったく想像もしていなかった映像が次々と現れるようになりました。 しかしながら、それでもその映像が私の願望などが作り出したものなのか、本当の前世の映像だったかは確信が持てません。 それで2007年2月26日に秋山氏に前世リーディングをしてもらったわけです。 先入観を排除するために、秋山氏には私が退行催眠で見た映像のことは一切知らせませんでした。 その結果は、驚くべきことに、細部に至るまで秋山氏の前世リーディングと私の退行催眠でみた映像が一致、ほぼ同じ前世の物語が浮き彫りになったわけです。 この前世リーディング計画は一定の成功を収めました。 これを契機にして私は、これまで偶然見た映像、もしくは願望が作り出した映像だとして切り捨てていた映像を大事にしようと思い始めました。 そのように決心して、最初に啓示的に見た映像が、秋山氏に前世リーディングをしてもらってからちょうど1年経った2008年の2月12日だったわけです。 12日と26日では日付が違うではないかと思われるかもしれませんが、ぴったり2週間離れているところも、その理由はわかりませんが、おそらくミソなのです。 さらに2008年8月31日から12月31日までにかけて毎日行ったテレパシー送受信実験によって、自分の前世がかなりわかるようになりました。 それでわかったことは、拒みさえしなければ映像は比較的簡単に見ることができるということです。 それは誰もができることです。 鏡を曇らせるフィルターを少しずつ取り払っていけばいいのです。 しかしまだ、これだけでは審神者はうまく行かないんですね。それにはやはり、「骰子一擲」、つまり易という占いが必要なのです。 次回は、「偶然」に意味を与える易経についての体験を語りましょう。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.01.26 15:29:02
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