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テーマ:不思議な世界(697)
カテゴリ:歴史散歩
秋山氏が無作為すなわち「偶然」に選び出した牌は、最終的には二つずつの計4枚。
最初の2枚は8ピンと7ピンで足して15、次の2枚は4ピンと5ピンで、足して9でした。 八卦に合わせるため、それぞれの和を8で割って、その余りである「7」と「1」を導き出します。 易では7は山で、1は天なのですが、これを易占いに使うときは、八卦は下から上に積み上げてゆくので順番が逆になり「天」「山」の順番になります。 ですから、出てきた卦は「天山遯(てんざんとん)」でした。 この卦は、「撤退することで吉」という意味で、壊滅的な打撃を避けるためにも勇気をもって整然と撤退せよ、という戒めが込められています。 麻雀牌を2枚ではなく、4枚使ったのは、そのほうがより先入観を排除して偶然性が増すからだといいます。 簡略形では2枚の牌を無作為に選び、占うこともできます。 秋山氏は最初の卦の意味を確認するために、さらに4枚の牌を選び、同様に「火天大有」の卦を得ました。 この卦は太陽があまねく四方を照らしている様を表わし、「すでに大いに所有している、すべての存在から祝福されている」という意味があります。ところが同時に、大いに所有していることを認めずに、また我利我欲によって他人を押しのけたりしたら、その吉運は凶運に転じてしまうこともあるという戒めもあるそうです。 この易占いにより、自動書記に現れた「危険」「鎮まれ」の意味が察知できるわけです。 その時の写真を拙著から掲載します。 さて、偶然に現れた数字が卦を出すための材料になることを知った私は早速、下田富士に向かう電車の中で見た3と7を使って卦を出してみました。 八卦は下から登場しますから、下が3の火、上が7の山となり、「山火賁(さんかひ)」を得られます。 これは山々が夕日などによって美しく染まる光景を表わします。 「あなたが夢を持っているなら、その夢を細部にわたって細密に飾りなさい。そうすればするほど夢は叶う」というような意味であり、同時に「外見的な美しさは一時的なモノにすぎず、永続的ではない、見栄を捨てて内面の充実を図りなさい」という戒めも込められています。 おそらくそういう戒めの意味もあったのだと思われます。 しかし、下田富士との関係でこの卦を考えると、別の示唆もあったはずです。 それは瞬時にわかります。 それが夕日や朝日によって美しく染まる下田富士や武山、利島、鵜渡根島の光景です。 これらの山々およびピラミッド型の島々は、夏至の日の入りと冬至の日の出になると、一直線上に赤く染まります。 つまり夏至の日の入りラインと冬至の日の出ラインが示唆されていたことになるんですね。 そして、ほどなく(おそらく3ピンと7ピンの映像を見た2~3週間後の2010年9月下旬~10月上旬)、「山岡正●」の霊感(啓示)を受けるわけです。 易と霊感がセットであることは宇宙の摂理であるように思われます。 で、下田富士と利島を結ぶラインは山岡町の巨石群の夏至の日の入りラインと冬至の日の入りライン、下田富士と鵜渡根島を結ぶラインは笠置山の山頂とピラミッド石を結ぶ夏至の日の入りラインと冬至の日の入りラインと、それぞれ完全に一致します。 「山岡正●」が山岡の巨石群から子午線を引けという啓示だったわけですから、下田富士と山岡の巨石群が密接に関連していることは火を見るよりも明らかです。 ここまで経験しておいて、まだ易占を否定することはできませんね。 私の易に対する先入観は、こうして払拭されました。 今では易占の大ファンです(笑)。 山火賁はまた、山を火で飾れとも読めます。 山は積み上げられた歴史・伝統を象徴し、火は表に出す、すなわち文字や絵、仕草などで美しく表現することを意味します。 併せると、歴史の本を書けとなりますね。 実際、2010年に「山火賁」や「山岡」「正中」の啓示を受けてからというもの、『誰も知らない世界の御親国』から始まって『正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド』のシリーズ4巻、『竹内文書の謎を解く②』『竹内文書と平安京の謎』『卑弥呼は二人いた』など怒涛のごとく歴史本を書いています。 私が見た3ピンと7ピンの映像は、そのような人生を歩めという方向を明確に示していたように思われます。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.01.29 16:23:58
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