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テーマ:旅のあれこれ(10119)
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リヒテンシュタインで一緒にスキーをしたクリスティーヌはハノーファー(Hannover)かシェーニンゲン(Schöningen)で暮らしていましたが、スコットランドで出会ったクリスティーヌは同じドイツでも当時の西ドイツの首都ボン(Bonn)で暮らしていました。
ボンのクリスティーヌともその後、何度か手紙のやり取りをしています。 その一通がこちらですね。 ![]() 彼女も写真を撮るのが好きで、お互いに自分が撮影した写真を交換したように思います。 手紙には、彼女も旅行が好きで、ギリシャに行った話やいつか日本に行こうと思っているというような旅行関係の話を書いてきています。 私が出会ったときは既に働いていましたが、職業については詳しく語ってくれませんでした。 何となく政治家か会社役員の秘書的なことをやっているような感じの女性でした。 さて、マルブンで楽しくクリスティーヌとスキーをした後、約束通り宿屋の主人が迎えに来てくれました。 至れり尽くせりですね。 とりあえずこれで、欧州で春スキーをするというミッションは終了しました。 その日の夕食が何だったかは覚えていません。 3月29日の日曜日。リヒテンシュタインを離れてオーストリアに向かうことに決めました。 ヴァドゥーツの隣のブフツ(Buchs)の駅までクリスティーヌが車で送ってくれました。 ただ、クリスティーヌの車に乗って驚いたことがあります。 何と方向指示器が故障しているんですね。 それではどうやって後続の車にどちらに曲がるかを知らせるのかと言うと、彼女がブレーキを断続的に踏んで、止まるらしいことを後ろの車に感づかせて、私が窓を開けて腕で右に行くか左に行くかを知らせます。 私がいないときは自分で窓を開けて、合図をしていたようです。 なんともハチャメチャな運転ですね。 それがまかり通ってしまうところが凄いです。 何はともあれ、無事に駅まで送ってくれたクリスティーヌに感謝して別れました。 ブフツからは鉄道で東に向かい、オーストリアの首都ウィーンを目指しました。 しかも記録によると、夜行列車を使っており、翌3月30日朝にウィーンに着いたことになっています。 当時の時刻表がないので、一体何時ごろの電車に乗ったのかがわかりません。 私の記憶が正しければ、電車は生憎満員で、通路で寝るしかありませんでした。 しかも、トイレに近い通路しか開いておらず、リュックを枕替わりに、体を丸めて寝たように思います。 これまでで一番つらい車中泊でしたが、それでも疲れていたのでぐっすりと眠ってしまいました。 車窓からはインスブルックなどオーストリア西部のチロル地方や、中北部のザルツブルクの風景が広がってうっすらと見えることもあったのでしょうが、すべてが深い眠りの中でした。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.14 18:37:22
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