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テーマ:旅のあれこれ(10123)
カテゴリ:歴史散歩
日本に帰ってきた時点で、この1980~81年シリーズは終わりなのですが、エピローグ的にその後どうなったかを記録として残しておきましょう。
帰国してすぐに始めたのは就職活動です。 4年生時の留学でしたから、留学期間中は留年扱い。 つまり、一足早くその年の春に社会人になって働いている同期生がいるわけです。 調べると、幸いなことにNHKと毎日新聞に記者として就職しているセクションメイト(クラスメイトと同じ)がおりました。 彼らから、どうやって就職したかの体験談を聞きまくりました。 NHKのN氏はあまり教えてくれませんでしたが、毎日新聞のS氏は作文の書き方(カンカラカモデキア)など詳しくアドバイスしてくれました。 彼らのほかにもう一人、面識のない同期生で共同通信社の技術職として入社しているK氏がおりましたので、電話をかけて話を聞けないか頼んでみました。 そうしたら会ってくれることになりました。 結局、この面談が非常に役に立ちました。 K氏は赤坂かどこかで夕食をご馳走してくれただけでなく、社内のこともいろいろと教えてくれました。 非常に助かりました。 問題は、地方勤務の滞留人事問題ですが、NHKほどひどくはないように思われました。 まあ、ほかも似たり寄ったりです。 この卒業生面談により、私の方針も決まりました。 共同通信社を含む四社に絞り込むことにしたんですね。 新聞社や放送局の記者職など、いずれもマスメディアです。 ただし、一社だけ大手広告代理店も含まれていました。 どうして、一社だけ広告代理店が入っているかというと、たまたま一年前に留学先のイギリスに向かう飛行機の中でその会社のことが書いてある記事を読んで興味を持ったからです。 文章が書くのが好きなので、コピーライター的な仕事に向いているかもと漠然と思ってしまったから、とも言えます。 とにかく就職しなければならなかったので、必死でした。だから幅を広げて何社も受けようと決めていたわけです。 結局、この直感が正しいことが後で判明します。 当時のメディア業界の新卒学生の採用方法はちょうど転換期に差し掛かっていました。 表向きは10月1日会社訪問解禁で、11月の試験後に内定を出すというパターンをとっていたのですが、そのパターンだと他業種に人材を採られてしまう上に、難しい試験のみで採用すると、みな頭でっかちな人材ばかりが集まるという問題を抱えていたわけです。 そこで、10月中に(一部はそれぞれの企業主催のマスコミ講座が開かれていた8月、9月に)これはと思う人材をピックアップしてこっそりと面談を進め、内定をほのめかすという方法を各社取り始めるようになっていたわけです。 女性記者の採用も、前年から始まったばかりで、採用方法については試行錯誤が続いていました。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.07.13 22:23:50
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