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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史散歩
学校の文芸誌『梢』には、運動部や文化部の一年間の活動報告も掲載されています。
文芸誌と書きましたが、生徒会による一種の年次報告誌みたいなものであるわけです。 その1976年3月に発行された第21号を読むと、私が二年生だった75年度の野球部の活動報告が記載されています。 そこには、文化部や運動部を含めてほかの部活動の活動日が週三回なのに対して、野球部だけ月火水木金土の週6回(ただし冬場は週3回)と書かれています。 練習試合は日曜日に組みますから、春休みから夏の大会まではほとんど休みがないことになります。 部活に熱心なのはいいのですが、これでは自由な時間がありません。 勉強時間も足りなくなります。 私は幽霊部員だった美術部は完全に退部して、野球部に専念することになりました。 春休みの合宿から事実上、毎日の練習に突入します。 どういうわけか、そのころから3年生の女子マネージャーが2人入部しました。 そして一年生の新入部員も5人ほど入ったので、三年生2人、二年生9人ですから単純計算では15人の部員になったことになります。 ところが、今まで人数揃えのためにレギュラーになっていた二年生部員が中学から野球に親しんでいた一年生部員の加入によって補欠になり、それが嫌で辞めていった人もいたようでした。 その年の朝日新聞地方版に掲載されたわが校の登録メンバーを見ると、三年生2人、二年生4人、一年生6人の計12人となっています。 去年よりたった二人の増員に留まっています。 しかもよく見ると、去年まで同じ学年だったT君が一年生で留年しています。 進級できなかったんですね。 実はこの後、先輩のAさんも三年生で留年します。 その大きな原因の一つは、絶対に野球部の部活のせいです。 これは後で問題になりますが、期末試験中も毎日練習させるのは、勉強を優先させる生徒にとっては死活問題です。 いくら理不尽を体験させる場が運動部だったとしても、限度があります。 まあ、そういった不満は後でも触れるとして、再び野球漬けの毎日に突入。 放課後は真っ暗になるまで練習して、疲れ果てて家に帰ると宿題や予習、復習をして、授業中は睡眠と闘いながら授業を受けるという日々が続きました。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.03.03 23:12:15
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