|
テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史散歩
英国語学研修の旅の最後の8月22日の日記には次のように書かれています。
「最後の授業はさぼり、卒業証書だけもらい、ボーンマス・スクウェアーに買い物にでかける。2時間かけて一応、お土産を買いそろえる。West Cliffに出かけ、最後にボーンマスの海を心に刻み込む。リスが手の平の上の餌を食べた。すべてが静かで平穏な町ボーンマス。いろいろな人に道をたずねると、彼らはみんな親切に教えてくれた。やがて、このWest Cliffの公園にも秋が訪れる。ほどなく潮風が秋の香りを緩やかに注ぐようになるだろう。」 「満たされない感情のほとばしりはすべてこのボーンマスが受け止めてくれた。夢のような三週間をすべてこのボーンマスがつくりだしてくれた。そして今、その夢が流れ去ろうとしている。夏が絹糸のように流れていく。潮風が心を秋へと運ぶ。そしてあの秋が、降り積もる雪のように木の葉を小道に注ぐとき、僕は日本にいて、ボーンマスのことを思うだろう。優しさに溢れたあの感情が再び僕を包み込むだろう。今胸は、去り行く日々のことで、ボーンマスの海のように満たされている。同時に荒波のようにかきたてられてもいる。」 「心地よい風に乗って、思い出のリズムが蘇る。白波がWest Cliffの崖を見上げ、静かな別れを告げている。僕は上を見上げる。にわかに曇った空から涙のように雨がポツリポツリとやって来る。僕にやって来る。遠くから切なさがやって来る。」 「なぜ雨など降る必要があろうか。もう十分だ。雨が僕を正確に木の下へ追いやる。この小さな木の下で、僕は静かに挨拶を交わす。“さようなら、すべてが思い出の町ボーンマスよ。またいつか会おうじゃないか。その時は夏がいい。夏はボーンマスとの出会いの友だ。断りはしないだろう。いや季節など気にはすまい。秋でも冬でも春でも、ボーンマスはいつも心の中にあり続けるのだから。”」 「いつの間にか、雨が辺りを支配していた。水平線が遠くでかすみ、雨音と潮風の音に追い立てられるように、僕の夏が忍び足で遠ざかっていく。」 よほど楽しかったのでしょう。随分感傷的な日記を書いていますね。 今から読むと、表現はとても稚拙です。 それでも「夏が絹糸のように流れていく」など、ところどころに感覚的に優れた表現が見受けられます。 「なるほど夏は絹糸のように流れるのか」と、ちょっと感心しました。 自分の感覚をどう表現するか、というのは私たちにとって大きなテーマでもあります。 私はロビン・ウィリアムズが主演した『今を生きる』(1989年)という映画が大好きなのですが、その中で若者たちが自分の内なる感情や感覚を必死に詩的に表現しようとする「死せる詩人の会」の場面をこの日記を読みながら、思い出していました。 後に記者や作家となる片鱗をこの日記が示しているように思います。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.04.13 18:22:26
コメント(0) | コメントを書く
[歴史散歩] カテゴリの最新記事
|
|