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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史散歩
京都でたぶん惨敗して帰ってきた私に、何と朗報が待っていました。
京大を受験している間に、先に受けた慶応大学文学部の入試に合格していることが分かったからです。 発表の日に私は京都にいたので合格発表は兄が見に行ってくれました。 実は、その前に受けた上智大学の受験では日本史がわからず、落ちています。 慶大では世界史で受かったわけですね。 日本史の敵を世界史で討ったようなものでしょうか(笑)。 もし上智大学に受かって入っていたら、同大学の教授職で教鞭をとっている母方の叔父が手ぐすねを引いて待ち構えていましたから、そのような事態は何とか回避できたわけです。 叔父は上智大学で国際関係論を教えていましたから、実際に叔父のクラスを受講したかどうかは別問題ですけどね。 話は脱線しますが、随分後になって、私のテニス人生で、亜細亜大学の学長を1990年代当時に勤めていた衞藤瀋吉(えとう・しんきち)氏と親しくテニスをしていた時期があります。 私の父と一年違いの年齢でしたが、よく一緒にダブルスを組んだテニス友達でもありました。 衛藤先生も国際関係論を東大などで教えており、東大では叔父の7年ほど先輩に当たります。 衛藤先生は私の叔父のことを知っていて「よく勉強している」と褒めていました。 なんでも勉強をしない教授もたくさんいるのだとか。 それはさておき、慶応とICUが受かった一方、上智と京大が落ちて、受験成績は2勝2敗の五分となりました。 もちろん第一志望のICUに入ることはほぼ決定していましたから、入学申し込み手続きは進めます。 慶応大学は入るつもりはなかったので、手続きはしませんでした。 で、もちろんここで受験をやめてもよかったのですが、私はせっかくだから国立二期校の東京外語大学の入試も受けることにしました。 京大と同様、せっかくの機会だから、受験生としての人生を謳歌?したかったわけです。 ただし、既に払い込んだ受験料がもったいなかったからだとの説もあります。 何はともあれ、まさに高校生活最後の腕試しです。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.09 17:23:42
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