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テーマ:不思議な世界(697)
カテゴリ:不思議な世界
こうして前世リーディングが終わって最初に思ったのは、秋山氏のリーディング能力が優れているということもさることながら、私が退行催眠中に見た映像は間違っていなかったのだ、ということです。
同時に感じたのは、もしそれが正しいのであれば、いつでも自分で前世を見ることができるという確信でした。 その時の確信は、漫画家中尊寺ゆつこが1990年、奥多摩のUFO観測会で巨大UFOが湖面を波立たせながら上空を滑空するのを目撃した後、秋山氏に語った言葉に奇しくも言い表されています。 「秋山さん、これなら私も呼べるわよ」と。 私も新著のタイトルのように「前世は自分で診断できる」ことがわかったわけです。 出来るかどうかは自分次第。要は自分の力を信じることができるかどうかの違いにすぎないのです。 今から思うと、秋山氏による前世リーディングは、私がオカルトの世界に入る最後の準備試験みたいなものだったと思います。 つまり私がオカルトの世界に入る準備ができているかどうかを量る試金石的な意味合いがあったのです。 というのも、これは後から判明するのですが、私の性格がオカルトの対極にあるからです。 誕生日を易的に分析すると、私の四つの性質を表わす要素のうち3つが「火(離)」で、1つが「風(巽)」。 全体の性質が「火」ですから、内なるものを表現する能力に長けた半面、深く掘り下げるよりは浅くても広く展開するのが好きだという性質を持っています。 簡単にいうと、「火」はオカルト的な性質を表わす「水(坎)」の対極なわけです。 オタクのように、暗い部屋に籠って物事を掘り下げていくのが嫌い、というか苦手です。 天気が晴れようものなら、外で遊びまわったり旅に出かけたりして自分を表現しているほうが性に合っています。 たとえば、既にお話ししたように、私は小学生の時からオカルト的な現象を体験していました。 ジャンケンで相手が出すものが頭の上に見えたり、未来と共鳴したり、心霊写真を撮っていたりしたわけですから、オカルトは身近にあったわけです。 にもかかわらず、そちらの世界に入って行かなかったのは、外に出かけて飛び回っている方がはるかに好きだったからです。 体を使って幸せや喜びを表現する方がずっと面白く、楽しかった。 足はとにかく速いし、ジャンプ力はあるし、野球やスキーもうまい。スポーツ万能で、勉強もできました。 ただし私が勉強をしたのは、面白いからという面もありましたが、実際は外で体を使って遊びたいから、その時間を作るために必死に勉強したという面のほうが強いです。 だから、短期集中で勉強をやりました。 当然、要領がよくなるわけです。 その結果、中学、高校ではおおむね4か5,大学でもおおむね優か秀を取る成績を維持することができたのです。 アメリカの大学院に行っているときも、必ず近くのテニス・クラブに入会して、週に2回はテニスをして、週末は観劇か日帰り旅行をして遊びまわっておりました。 つまり、その遊びの弾みを利用して勉強するわけです。 結果は、そこでもおおむね優(A-)の成績を残せました。 しかしながら、修士号は2つ取りましたが、決して象牙の塔に籠って博士号を取るタイプではありませんでした。 そうした性格・性質の人間がオカルトをやると、「明るいオカルト」しかできないのです。 これが私の短所であり、長所でもあるんですね。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.12 22:21:29
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