ル=グインの若いSF続き『辺境の惑星』『幻影の都市』
前回に続いてサンリオ文庫の表紙(竹宮恵子)を載せます。理知的で時々難解なル=グインにも、こんなみずみずしい作品があったのですね! という感想もひき続き。表紙絵も若いですね。 『ロカノンの世界』を踏まえた第2作『辺境の惑星』と第3作『幻影の都市』には、同じ惑星ウェレル(りゅう座のガンマ星の周りを回っているとされる)に移住した人々が出てきます。 この2作はある意味対照的で、『辺境』は惑星ウェレルが舞台だが、主人公(の一人)は地球からの移住者の子孫。地球人だけれどウェレルで生まれウェレルしか知りません。 『幻影』は地球が舞台だが、主人公はウェレルからやって来た、『辺境』の主人公の子孫。この子孫はウェレルの先住民との混血の結果、黄色い瞳をしたウェレル人ですが、地球に到達した時に記憶を失い、地球で生活した記憶しかありません。 『辺境』では、ウェレルに移住した地球人たちが、本国や「全世界連盟」との連絡が途絶したあと、どのように生き延び、先住民と融合していったかが描かれます。他者との理解と融合は、ル=グインのテーマの一つだと思いますが、やはりそれは彼女の属したアメリカという国が、異なる文化・人種の人々が努力して作り上げた国であること、また彼女の父がアメリカの先住民との関係性を研究した人だったこと、などを思うと、うなずけます。 移住した一握りの地球人たちは最初、自分たちだけで住み、いわゆる”上から目線”で、先住民と必要以上交わろうとしませんでした。結果、彼らは人種的に衰退し、技術や文化も退行してしまいます。 しかし、主人公アガトが、先住民の娘ロルリーと恋に落ちたのをきっかけに、二つの民は協力して敵から町を守り、過酷な冬に備えます。 アガトは気マジメ君だしロルリーは「端境期生まれ」の変わり種ですが、そんな二人のなんともステキなラブロマンスが展開。あと、老耄してなおカッコイイ先住民の族長とか、衰退しつつ矜持を保つ地球人たちとか、ヒロイックな登場人物たちがいっぱいです。 おまけに地球人たちは自分でも知らぬ間に、生物学的にウェレルに適応していきます; 「・・・死産や流産は・・・過剰適応のせいか、あるいはむしろ・・・〔ウェレルに適した〕様式になってきた胎児が、母親と両立しえないためだろう」 ――ル=グイン『辺境の惑星』脇明子訳(ハヤカワ文庫) そして、適応した地球人は先住民と融合するだろうという予測のもと、皆で団結、困難を克服、明るい未来を向いて物語は終わります。SFとしてはちょっとできすぎな終わり方は、ファンタジー的・神話的といえるかも。 いっぽう、『幻影』では、全世界同盟の共通の敵である異星人(シング)が地球を支配している時代が描かれます。支配といっても一握りの彼らは自分たちだけで「幻影の都市」に住み、「上から目線」で地球人たちをだましています。舞台はアメリカ大陸ですが、地球文明はすっかり退行し、人々はまるで開拓時代のような暮らしをしています。かと思うと武器だけはSF的で、野蛮に人間を狩る種族などもいます。 正しい情報を得られない人々が、自分たちでも気づかぬうちに、どんなに衰退し無知蒙昧になってしまうか。フェイク・ニュースや偏った知識などがアメリカ社会を分断し退行させているように思える今日この頃、これはル=グインの未来への警告であったようにも思えます。 主人公は記憶喪失のフォークですが、彼はアメリカ大陸を横断するあいだに、断片的に残っている昔の知識や考え方(ル=グインの好きなタオイズム)に触れてゆきます。そのおかげで、やがて幻影の都市で異星人と相対したとき、彼は異星人の偽装を見破ることができました。彼はウェレル人である元の自分の記憶を取り戻し、異星人についてこんな感想を持ちます; 初めてこの地〔=地球〕へ来て以来、嘘言を押し通してきた千二百年という日々、自分たちにとって全く意味をなさない心と、永遠に実りをもたらすことのない肉体とを持った種族〔=地球人〕を支配するという決意のもとに、遙かなる星から来た流浪者もしくは海賊もしくは帝国興隆者。・・・孤独な、孤立無援の聾唖者たち。《おお、何たる孤独……》 ――ル=グイン『幻影の都市』山田和子訳(サンリオSF文庫) 異星人たちは、先住民と交わってともに発展しようとせず、純血と孤高を保つがゆえに、両者はともに孤立無援で衰退していく・・・『辺境』のウェレル人とは真逆の運命です。 というふうに、対照的な前作と比較しながら味わって、現代にも通じる批判や警告を読み取ったりすると、これはSFだなあと感じられます。 でも、主人公が真の自分を求めて探索行をし、敵の嘘を見破り、過去と現在ふたつの自我を統御し、宇宙船を奪って故郷の星へ帰還する、というストーリーを追いかけると、ワクワクドキドキ、ファンタジーだな、とも思われます。