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テーマ:お勧めの本(7394)
カテゴリ:ちょっとなつかしのファンタジー
夏休みが近づく今時分の、あのなつかしい、何ともいえないワクワク感。予定があっても、まだなくても、とにかく夏休み!というだけで、すばらしいことが待ち受けているような、ちょっとコワイほどの期待感。
でも実際に始まってみると、時間と暑さと孤独をもてあまし、かすかな焦燥感をおぼえる夏休み。 そんなレトロな季節感を、長野まゆみ(の初期作品)は切ないほど繰り返し書いているので、この季節、『テレヴィジョン・シティ』『夏期休暇』『ドロップ水塔』なんかを読み返したりします。 夏休み。 あれほど待ちわびていた夏休みも、いざ入ってしまうとなんとも手持ちぶさたでたいくつなものだった。 ・・・ いつもの活気はかげをひそめ、風のない日の旗のように白っぽくしまりのない夏の日。ジイジイとアブラゼミの声だけが生きている、からっぽの風景。 ――舟崎克彦『雨の動物園』 これは長野まゆみよりずっと以前に読んだ本ですが、なぜか『テレヴィジョン・シティ』とリンクして思い出される一節です。 以前もちょっとご紹介したことがありますが、主人公のアナナスは、1000階以上ある超高層ビル群だけから成る世界に暮らしている13歳の少年。ビル群はエレベーターと通路でつながれ、異星(地球から15億キロ離れた「鐶(わ)の星」というから、モデルは土星のようです)のガス圏に浮かんでいて、アナナスは最上階にあるというロケット基地からいつの日か、地球へ行きたいと望んでいます。 彼は教育のカリキュラムとして、地球にいる「ママ・ダリア」に手紙を書いたり、ビル世界の至る所にあるテレヴィジョンで地球の風景を見たりして、地球とくに海への思慕をつのらせるのです。 長野まゆみはSF的に未来の“家族”について描くのが好きみたいで、この物語でも、ビル世界の子供たちは実際の家族を持たず、子供の時は集団で保育され、13歳になると二人で一つのアパートみたいな住みかを与えられ、全寮制の学校のように過ごすという設定になっています。 アナナスはひとりだちの年齢(13歳)を迎えたのに、概念として押しつけられた「ママ・ダリア」や「家族」にこがれます。そして、テレヴィジョン番組で見た地球の少年のように、夏休みの「家族旅行」を疑似体験したい!というので、とうとう「ヘルパア配給公社」からニセモノのママとパパを借りて旅行にでかけようとするのです。 夏休みといえば、自由、家族旅行、海辺。とにかくそれがなくちゃ、やりきれない! という何か強迫観念に駆られた焦燥感。ママは着替えや帽子を選び、パパはカメラの手入れをし・・・。そんな典型的すぎるヴァカンスに対する、アナナスの滑稽なまでの執着は、いたいたしいほど。でも、われわれにも心のどこかにそんな覚えがあるような気もします。 物語は難解で謎めいたまま進行しますが、次第にわかってくるのは、テレヴィジョンのドラマに出てくる、夏休みを楽しむ地球の少年とは、どうやらアナナス自身の過去の姿のようであるということです。 彼はビル世界を支配するコンピューターによって、自分の過去の記憶を封じられ、新たな情報を無理やり植えこまれ、かなり意識が混乱してしまっています。自分はビル世界で生まれ育ったのになぜ地球や海や家族にこがれるのかと、アナナス自身も不思議に思うのですが、それは実は、彼がほんとうは地球からやって来たから、らしいのです。 そんなアナナスの空白な記憶のもどかしさが、夏休みという空白のもどかしさと相まって、かなわぬ夢、失われた楽園、子供時代への追悼、みたいな切なさをかもしだしています。 現実にはほとんどの人にあって当然な「地球」や「家族」の圧倒的な存在意義というものを、それらを持たない設定の少年たちに語らせる・・・おや、これは竹宮恵子『地球(テラ)へ』みたいですね。コンピューターによる記憶操作なんかも、70年代SF風で、それ自体がノスタルジック。 現在の若い人たちは、この手の物語をどんなふうに読むんでしょうね。地球環境の危機、コンピューター管理、家族概念の変質、どれをとってももはやSFではなく、現実になりつつありますが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 10, 2007 10:48:39 PM
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