時を買う
経済カテゴリではなく、社会全般の話題なのかもしれない。ただ、一つのビジネスではあるので、経済カテゴリに入れておく。「平成」との別れを惜しもうという狙いなのか、岐阜県関市平成(へなり)地区の空気を詰めた「平成の空気」という缶詰が売られた。600個の予定数を完売し、350個増産したがそれも完売。缶詰を企画した大阪の「ヘソプロダクション」という会社も「予想以上の人気だった」と驚いている。もちろん中味はただの空気である。今年の4月、平成地区にある「元号橋」で地元の人たちが缶に空気を詰めた。価格は1個1,080円。ちょっと高いような気もするが、缶の材料費などで儲けは無いと企画者は語る。地元には「どこにでもある空気を売るのは詐欺ではないか」という苦情も寄せられた。当然の反応だと思う(笑)。地域おこしに取り組んできた69歳の男性は「缶詰は元号橋で地元の人たちが思いを込めて、正真正銘の平成の空気を詰めた」と反論するが、残念ながら反論になっていない(笑)。「空気を売るのは詐欺だろう」という抗議なのだから、「平成(へなり)の空気には価値がある」ことを説明しなければならないはずだ。もっとも、この辺は購入者の感じ方次第である。実際に1,000個近く売れたのだから、平成(へなり)あるいは平成(へいせい)の空気には価値があると判断した人がいたということだ。上述の男性は推測する。「モノが氾濫している時代に、 モノよりコトを消費することに重きを置く人が買ってくれたのだろうか」「空気は見えないからこそ、みんながそれぞれ意味づけできる。 答えのない商品だったから成功したのかな」ずいぶんとかっこよく考えているが、空気は見えなくてもモノである(笑)。確かに答えは難しい。だが、一応想像することはできるだろう。5年後、10年後に本棚に置いてある缶を見たとき、購入者は感じるはずだ。「ここには平成時代の空気が入っている」と。個人的には平成(へなり)の地名にはあまり意味が無いような気がする。缶詰が、平成という時代の空気を閉じ込めていることが重要なのではないだろうか。つまり、缶の中だけに平成(へいせい)があるのである。ちょっと大げさに言うと、購入者は平成という「時」を買ったのではないかと私は推測する。この推測が正しいとすれば、購入者は絶対に缶を開けないはずだ。空けてしまえば、とても小さな空間だが、せっかく自分が残しておいた平成という時代が失われてしまうのだから。どこかに飾っておいて、それを見る度に一種のノスタルジーに浸る(笑)。それが、この缶を買う意味なのではないかと私は思う。