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カテゴリ:ドイツ語
ドイツ語学校が終わって、クラスメイトとフェイスブックで写真をやり取りしている。写真の中の笑顔がまぶしすぎて、懐かしい。特に最後の日の写真は、いつも観たいから、パソコンのデスクトップ画面の背景として表示させている。もう会えないのは寂しい。優秀な人たちだったから、きっと、誰もがそれぞれの夢をかなえるに違いない。
ドイツ語学校に通ったことによって、自分の居場所ができたことは大事な収穫だった。ドイツ語を習うのに、学校に行ってよかったと思っている。もっとも効率的だったとは言えないが、私にとっては、もっとも貴重なひと時だった。とにかく楽しかった。私のこれまでの人生の時間の中でも、もっとも楽しい時間だったと思う。 これで終わりにならないように、せっかく勉強したのだからある程度、形に残せるように、私自身が「自律的な学習者」にならなければならない。 ちなみに、ドイツ語という軸を持ったことで、世界を見る目が広がったと思う。英語だけを通しては見えない世界が見えるようになった。 私はドイツに来るまで、アメリカ的な価値観に圧倒され、無条件にそれを受け入れていたと思う。確かにアメリカ的な価値観はすごく魅力的なのだが、その文化を全面的に受け入れるのは、実は危険だったのかもしれない。 たとえば、こんな平和な時代に、世界には戦争がまだまだ残っている。グルジアの受講生からは、「ロシアが領土をめぐってグルジアを攻撃した。アメリカはグルジアを支援すると表明し、武器をグルジアに調達した」などと言う戦争の話を聞いた。自分の故郷が一夜にして焼け野原になり、多くの人が逃げ出したそうだ。インドの受講生からは「アメリカはインドとパキスタンの両方に武器を売り、利益を得ている」と言う話も聞いた。すなわち、「代理戦争」の話である。中東、コソボ、ロシア、ユーゴスラビア、アフリカ・・・戦争を巡って話は尽きない。 こういう話は、英語圏だけの視点では危険だ。英語を通して入ってくるマスコミの情報は、必ず、何らかの形で英語圏の利益を代弁している。英語だけを通してみる社会は、実は歪んでいる可能性かある。 ただし、それでも日本語だけの情報に頼るよりはよほど安全だ。日本語だけしか知らなかった場合、自分の国にうまく騙されたって気づかないかもしれない。自分の国を客観的に見られないのは怖いと思う。 英語、日本語、それにもう一つの「眼」である「3つの眼」を持つことによって、より真実に近いものが見えるように思う。3つ目の眼が私にとってはドイツ語なのだが、ドイツ語を通じてみる社会は、英語を通じてみる社会とはずいぶん異なっている。面白いなあと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.08.26 09:25:12
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