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くろちゃんのブログからの借用話題です。 下山とは、身延町の中ほどにある、古い歴史を秘めた地域の名前です。中世にこの地域に展開 した下山氏や穴山氏にゆかりを持つ寺社や史跡などの歴史遺産が多く残されています。 その中の1つに「煙硝倉跡」というのがあります。 戦国時代の末期には、鉄砲を使った戦略の有効性が各地に浸透し、そのために玉薬、すなわち 鉄砲玉発射用の火薬が重要視されるようになったのですが、ご承知のように火薬は取り扱いに 注意が必要です。湿気からまもること、火気が現金なこと、もちろん敵に把握されて奪われたり 攻撃されたりしてはたいへん、機密の保持や防御態勢の充実も必要です。 そうした課題をクリアするための施設が「煙硝倉」でありました。富士川流域ではほかに 南部城山にも煙硝倉と伝承される場所が知られています。 なお、煙硝倉の理解をめぐって、まず戦国期末の鉄砲用の火薬をベースに話を進めましたが、 鉄砲以前の時代にも、のろし伝達の課題から火薬類が使用されたと考えられ、そのための 火薬類貯蔵の施設もあったようです。中世の城館や山城の跡を見るとき、時代の背景を きめ細かに見て、遺構の解釈を進める必要性についても付記しておきます。 さて、下山の「煙硝倉跡」ですが、具体的にはどこなのかといいますと、現在、富士川クラフト パークにアクセスする道路の、橋梁の下に保存されています。 詳しくはウェブで・・・。 そう、凹座こと凹左衛門さんによるレポートが、くろちゃんのブログにアップされましたので、 そちらをご参照ください。なお、下山に関する興味深いレポートには、続編もあるようです。 いっしょに楽しみたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.09.20 12:58:20
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