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ちほの転び屋さん日記

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ちほころ@ Re:御礼(04/13) 大杉先生 わざわざコメントくださりあり…

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2009年05月02日
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例によって、タイトルと中身がいまいち一致しない新書。「手ごわい頭脳」って何でしょう?以下、この本に書いてあることというよりも、この本から連想したことを書きます。

・アメリカの弁護士の思考法について書かれた本というより、アメリカ司法の入門書とみたほうがいいかもしれません。というのも、陪審に代表されるアメリカの司法制度の下で、弁護士が最大限の効果をもたらすにはどのように思考すべきか、ということで、その前提となるアメリカの司法制度の説明が分かりやすく書かれているからです(なので、アメリカの法廷ドラマを楽しくみるための基礎知識としても役に立つと思います)。

・また、このことからすれば、アメリカの弁護士の思考法というのが、アメリカの司法制度がどういう制度であるかによって既定されているということでもあるわけです。この点、先日紹介した『プロ弁護士の思考術』が、日本の司法制度がこうだから日本の弁護士はこう思考する、という形では論じておらず、普通のビジネス書に書かれていることと内容的にあまり変わらないのとは対照的。

日本では、弁護士は、一般的なものの考え方でも十分通用するということなんでしょうか。それは別に日本が劣っているということではなく、日本の司法が一般社会でのお作法とそれほど違っていないということを表していることになるわけですが。逆に、アメリカでは、「弁護士的な考え方」というと、司法向けに特化した思考法だということになるわけです(程度問題でしょうが)。

・いわゆる「リーガルマインド」といわれるものや「法の解釈」についても、あくまで印象論ですが、日本では、現行の司法制度べったりではない、抽象的なものとして捉えている気がします。なので、日本のおけるその手の本では、諸外国の学者の、法の解釈に関する見解を、国の違い、時代の違いに応じて相対化しないで、抽象的に引用できるのかもしれません。

他方で、この本からすれば、アメリカでは、たとえば陪審制度のもとでは陪審員向けの法解釈というものがあるのであって、宛名のない、抽象的な「法の解釈」というものは、(そういうものが存在するかどうかは別として)考えなくてもいいことになりそうです。

そうすると、たとえば「法と経済学」という学問は、日本では最初に、法に対するアプローチとして正しいか否か、という問題の立て方をされることがありますが、アメリカの場合、そういう議論は置いておいて、陪審員向けに考えた場合には難しすぎて役に立たないので使わないが、経済学の素養のある裁判官向けには、正義云々という言葉よりも経済学的手法のほうが理解してもらいやすいので使おう、というように、「正しいか否か」ではなく「役に立つか否か」によって場面ごとに使い分ける、という考え方になるのでしょうか。

・「訴訟大国」「訴訟社会」などとして、日本では時に劇画タッチにイメージされることの多いアメリカですが、この本を読むことで、そういったイメージが正確でないことが分かります。

・政府に対する不信が基礎となって存在するアメリカの陪審制度が、消費者訴訟、行政訴訟などで大きな成果をもたらしているのを読むにつけ、日本の裁判員制度が、対象事件を殺人事件などの刑事事件に限っていることの不思議さを感じざるをえません。

・念のためもう一度いっておきますが、ここに書いたことはあくまで私がこの本を読んで勝手に連想したことがほとんどで、この本自体にこういうことがそのまま書いてあるわけではありません。





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最終更新日  2009年05月02日 00時21分49秒
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