「何だあの変な娘は? やけに自信満々だったじゃねぇか。」
その夜、歳三はそう言ってベッドに横たわった。
「まぁ、あの子は自分が皇太子様に愛されていると勘違いされておいでなのでしょうね。」
千尋は彼の隣で横になりながら、溜息を吐いた。
「それにしても身体の疲れが取れねぇなぁ。一日中パン生地を捏ねているからなのかなぁ。」
「そうですね。暫く店をお休みしますか?」
「馬鹿、これからが稼ぎ時だぜ。一銭でも多く稼がねぇと生きてけねぇだろ。」
「やっぱり商売に関しては厳しいですね。」
「ああ。自分の女房には甘いけどな。」
歳三はそう言うと、千尋の唇を塞いだ。
一方ルドルフは、今日も革命家達の会合に出席していた。
「皇帝を暗殺する。」
ルドルフの言葉に、男の1人が飲んでいたワインを噴き出した。
「おいおい本気か、仮にも憎み合っているとはいえ、実の父親を殺すだと?」
「ああ。もう皇帝と不毛な争いをするのはうんざりだ。」
そう言った彼の瞳は、翳っていた。
季節は瞬く間に過ぎ、ウィーンはクリスマスを迎えた。
「店を開けといて良かったぜ。」
歳三は額の汗を拭いながら、ひっきりなしに来る客の対応を千尋としていた。
彼らが作ったジンジャークッキーは、開店から数分後に完売した。
「いつもこんな調子だったらいいんだけどなぁ。」
「ええ、本当に。」
千尋はそう言うと、溜息を吐いた。
「それにしても、ルドルフはこれからどうするんだろうな。俺ぁあいつが心配でならねぇんだ。」
皇太子と、あのマリーとかいう娘の醜聞は、ここにも届いている。
民謡を愛し、このんで市井の者達と交流をしているルドルフは、国民の人気者であった。
それに対し、彼の妻であるシュティファニーは宮廷内では完全に孤立し、夫との仲も冷え切り、しばしば実家へと帰ることが多くなった。
それでも夫とは仲の良い夫婦を演じ続けなければならず、彼女は行き場のない苛立ちを、ヒステリーを起こすことによって何とか消そうとしていた。
そんな妻の気持ちなど知らずに、ルドルフは政治活動に没頭し、父・フランツ=ヨーゼフ帝との溝はますます深まるばかりだった。
「父上、鹿狩りに行きませんか?」
「珍しいな、ルドルフ。お前から誘ってくるとは。」
フランツとルドルフの共通の趣味は狩猟で、毎年シーズンになるとイシュルに繰り出し、ともに狩りに興じていた。
「今年はイシュルとは違う場所にいたしましょう、父上。」
「ほぉ、穴場を見つけたのか?」
「ええ。」
フランツは、息子が久しぶりに話しかけてくれた事と、狩りに誘ってくれた事が嬉しくて、彼が何かを企んでいる事など全く知る由もなかった。
「手筈は整った。」
「そうか・・本気なのか?」
「ああ。」
ルドルフの蒼い瞳が、狂気できらりと光った。
数日後、彼はフランツとともにマイヤーリンクへと向かい、そこで鹿狩りに興じていた。
「ルドルフの姿が見えないな。」
フランツはそう言いながら鹿を探したが、立ちこめる濃霧の所為か視界が悪く、何処に居るかが解らなかった。
「陛下、鹿が! かなり大きい鹿があちらに!」
「うむ・・」
フランツがそう言って手綱を引こうとした時、何かが林の向こうで光った。
(何だ?)
その時突風が吹き、白い霧の向こうに誰かが銃を構えているのが見えた。
冬の空に銃声が響いた。
「誰か、医者を!」
(ルドルフ、お前は殺したい程わたしが憎いのか・・?)
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