1コリント書3章より
1コリント書3章より
まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治)
おはようございます。今日はコリント人への手紙第一3章「イエスという土台」です。
あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。:コリント人への手紙第一3章16節
◆要約
兄弟たち。私はあなたがたに、幼子に対するように語りました。あなたがたには、まだ無理だったからです。ねたみや争い、分裂があるようでは、あなたがたは肉の人、ただの人ではないでしょうか。アポロもパウロも、あなたがたが信じるために用いられた奉仕者です。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それが大切なのです。あなたがたは神の畑、神の建物です。私が土台を据え、ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかはそれぞれが注意しなければなりません。だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
あなたがたは神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。もし誰かが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。
だれも自分を欺いてはいけません。自分は知者だと思う者がいたら、愚かになりなさい。この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべてはあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。
設問:信じる人はどのような存在か
20字:信者はイエスを土台とし神の御霊が住む神の宮(岡崎道成)
解説として
1コリント書3章は、「いつまでも、子供であるな」と言わんばかりの、パウロの本音。
いつまでも何処までも気を使わせ、怒らせないように、ややこしくならないように、腫れ物に触るように接する必要がある人々。そんな人々が多いコリント教会。教会であっても、何と付き合いにくいことか。これがパウロの本音です。
兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。すなわち、ある人は「わたしはパウロに」と言い、ほかの人は「わたしはアポロに」と言っているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか。(1コリント書3:1〜4)
いつまでも乳を口にまで運んでもらわないと、生きれない人。堅い食物を、自分で処理して食べれない人。これは自ら進んで日々、御言葉を読めない人の事です。
常にイライラの原因が、人々との比較や、争い、妬みから起こる人。キリストにお世話になりながら、いつまでも肉性に振り回されている人。これは自ら進んで日々、御霊の恵みに至れない人の事です。
これらの解決は、何処にあるのでしょうか。もうお分かりですね。そう、解決は神にあり、御言葉と聖霊にあります。日々、キリストを土台として歩みましょう。
わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。(1コリント書3:6)
(篠原利治)