2年前の話です
今晩は 今日は、先日紹介したアイロン・レディのところへ行ってきました私が服を受け取り、 に乗ろうとした時、彼女が何か呼びかけてきたため、「お金が足りなかったかな」と思い、振り返ると、彼女が私の元へ駆け寄り、タミル語で話しかけてきたのです「タミル語は分からない」と言っているのに、同じことを何度も言いながら、自分のお財布を見せ始めたので、よくよく聞くと、「私 ~ 欲しい」という単語が理解できました「私にお財布をくれ」と言っているんだと思い、うんざりしちゃいました まだ2回しか会ってないのに、しかも、私は彼女に仕事を頼んで、お金も払ったのに、その上で、何かを要求するのはどうかと 一昨日も今日も、彼女は仕事がいっぱいあり、お財布だって持っているのに。彼女は良い人だと思い、 の近所にいるアイロン・マンではなく、わざわざ彼女のところへ行ったのに 次回からは近所のアイロン・マンへ頼もうと思います私は仲の良い人、お世話になっている人、体が不自由で本当に貧しい人には、いくらでも、何でも贈りたいと思いますが、「日本人だから、外国人だから、彼らから何かをもらっちゃおう」という図々しい、無礼な人々には何もあげたくないです「金は無くても、心は錦 」「謙虚」という言葉を学べ と言いたいのです前に、旦那の実家に来るポストマンにも「僕にも日本から何か送って」と言われたことがあり、「私はお前の友達じゃない 」と思ったことがあります。日本語教師のA子さんも同様の経験を何回もしているそうです旦那は、「貧しい人で、そういうことを頼む人が多い」と言いますが、実際に私たちに「~ちょうだい」と言ってくる人は、働いている人が多く、困っているようには見えません旦那に確認したところ、「あなたが(私が持っているような)財布を持っていたら、私にください」という意味らしいです。そんなこと、2回しか来ていない客に頼むな~ 自分で稼いだ金で買え~ もしくは、旦那か、友達か、親戚に言え~さて、私が始めてインドへ来た、2年前の話をしたいと思います この前の話は↓こちらへどうぞ 2010.01.01 2年前、初インドへ 2009.12.31 2年前の今日、初インドへ 今日は、インドに到着した翌日の話です前日は、お義姉ちゃんと一緒に離れで寝ました翌朝は1月1日 お寺のお経のような音で目が覚めました 元旦だからか、近くのお寺のスピーカーから何か流されていたようです 翌朝も流れてましたけどね誰よりも遅く起きた私が母屋へ降りていくと、ママ&お義姉ちゃんが朝食を作っていました↑ママが作ったドーサ そして、↑朝食 左上のは「オニオン・サンバ」、その隣の赤いのはレッド・チリを使って作る「レッド・チャツネ」、下の白いのが「ドーサ」です。チャツネは私のために、辛さは控えめになってましたが、それでも辛かったです ドーサは少し酸味が感じられ、ちょっと苦手でした←今も好きじゃないです 銀座の南インド料理屋で旦那と一緒に食べたドーサは美味しかったんですけどね初日の夕食時のみ、スプーンを借りましたが、それ以降は、私も手で食べてました「郷に入っては郷に従え」タイプです 今は、従わないことのほうが多いですけど食後にはインディアン・コーヒー旦那が、カップとソーサの間をコーヒーを行き来させてるのを見ながら、「コーヒーを冷ましたかったら、おしゃべりしながら冷めるのを待てば良いのに」と思ったものです 今は、朝だけ旦那と一緒にこのスタイルでコーヒーを飲みますが、一人のときはアイスコーヒーを作り、保冷カップでノンビリ飲んでます元旦を祝うためにパパが買ってきてくれた もいただきました↑思っていたより美味しかったです アメリカで食べたケーキと同じレベル 最近、私がマドゥライで購入する生クリーム は、このときのケーキより、かなり美味しいですけどねこの後、旦那と一緒に観光 と思っていたのですが、「僕よりも街中のお店や駐車エリアに詳しい」ということで、お義姉ちゃんも同行し、3人で観光へまずは、市内で一番大きなミーナクシー寺院へ ここからは、2年前の様子 と、お色直しをした現在の様子 を見比べてお楽しみください↑2年前↑現在のミーナクシー寺院への入り口通路です↑2年前↑現在のサウス・タワーですこの後、日本へのお土産を買い、一度帰宅してランチ 午後は旦那と二人で観光しましたまずは、ティルマライ・ナヤック・パレス↑2年前↑現在こちらはパレスの天井にあるドームです↑2年前↑現在ガンディー博物館にも行きました↑2年前 ↑現在ちょっと長くなってしまったので、続きはまた次回おやすみなさ~いマドゥライの過去と今を楽しまれた方は ↓こちらをポチッ 宜しくお願いします