カテゴリ:古今憧憬
小野小町
思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを 古今和歌集 552 恋歌二 思いながら寝たので、あの人が見えたのかしら。夢と知っていたなら覚めなければよかったのに。 (拙訳) 註 大伴家持「夢(いめ)の逢ひは苦しかりけりおどろきてかきさぐれども手にも触れなば(夢の契りはつらい、目覚めて手探りしても何も触れないのだから)」(万葉集741) 松岡映丘「うたたね」 うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき 古今和歌集 553 恋歌二 うたた寝に恋しい人を見てからは、夢ってものを頼りにしはじめたのよ。 (拙訳) 註 うたた寝の夢幻境は誰しも好きだろうが、特に古来、文人・詩人たちに愛されてきた。 大詩人ステファヌ・マラルメの傑作「半獣神の午後(牧神の午後)」も、真夏の森の木陰で半獣神ファウヌス(パン)がうたた寝をして美しい妖精(ニンフ)たちの幻影を見るという詩である。 それにしても、現象としては似てるが、「居眠り」と言ったのでは、まるっきり風情がないざんすね。 なお、うたた寝の「うたた」は「現(うつつ)」と同語源とする意見もある(国語学者・大槻文彦)。 藤原隆信「うたたねの夢や現(うつつ)にかよふらむ覚めてもおなじ時雨をぞ聞く(うたた寝の夢は現実と往還するのだろうか、目覚めても夢の中で聞いていたのと同じ時雨の音を聞いている)」(千載和歌集407) いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞ着る 古今和歌集 554 恋歌二 とっても恋しくてたまらない時は、夜の衣を裏返しにして着る。 註 当時、寝巻き(またはその袖)を裏返して寝ると、恋しい人を夢に見るという伝承があった。 また、恋するもの同士がそうすると、お互いを夢に見るとされていた。 民俗学者で歌人だった折口信夫(しのぶ)は、この歌を「呪術的」と評している。 万葉集2812「吾妹子に恋ひてすべなみ白妙の袖かへししは夢に見えきや(君に恋しているのに逢うすべがないので、白い寝巻きを裏返したのが夢に見えたかい?)」 同2813「わが背子が袖かへす夜の夢ならしまことも君に逢へりしがごと(ダーリンが袖を裏返した夜の夢らしい、ホントにあなたに逢えたみたいね)」 世評にたがわず、才女・小野小町の和歌は天才的といって差し支えないだろう。 キュートであり、そこはかとなく妖艶・エロティックでもあるが、和歌という短詩形式のせいもあって、決して重くならず、軽やかな洒脱さをまとっている。 それにしても、天下の美女(・・・なのかどうか、会ったことがないのでよく知らないが)小野小町を夜も眠れないほど恋焦がれさせた色男は、どこのどいつだ? やはり、噂どおり在原業平あたりか? ・・・それとも谷原章介か?! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月03日 14時45分37秒
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