俵万智 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 現代短歌の記念碑的名歌 ――7月6日は「短歌記念日」にもなったと、僕は思う
俵万智(たわら・まち)「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日第一歌集『サラダ記念日』(昭和62年・1987)Because you told me"Yes, that tasted pretty good"July the Sixthshall be from this day forwardSalad Anniversary英訳 ジャック・スタム Jack Stamm【俵万智さん自註】 サラダがおいしかったというような、ささやかなことが記念日になる。それが恋というものだし、それを記念日として刻印してくれるものが、自分にとっての短歌だ。(角川「短歌」2009年7月号)註今では国語の教科書にも載っている現代短歌の記念碑的名歌。この一首によって、7月6日は、いわば「短歌記念日」にもなったと私は思う。きわめて技巧的に組み立てられた作品である。表向きの社交辞令的公式解題というべき上記の「自註」はそれなりに諒として、著書『短歌をよむ』(岩波新書)で自白しているところによると、手帳に書きとめた初稿は、「カレー味のからあげ君がおいしいと言った記念日六月七日」だったという。「サラダ」も「七月六日」も、影も形もなかった。そこから、「からあげ記念日」なども含め、文字として残っているだけで8パターンもの推敲案の苦闘を経て、発表された形になったという。日付の改稿についても、季節感に配慮しつつ、七夕の7月7日では恋の歌には即つきすぎとして斥けるなど、周到な創作過程であることが分かる。これほど苦心の彫琢ではないにしても、短歌実作者であれば、まず例外なく着想から推敲・脱稿に至るまで、呻吟しながらこれに近いようなことはけっこうやっている(そこがまた楽しからずや、ではある)ので、こちらの勝手な一方通行ながら、共感と惻隠の情を禁じえない。作者は口を噤んでいるが、おそらく実際には7月4日がアメリカ合衆国の(イギリス植民地からの)「独立記念日(インディペンデンス・デイ)」であることも踏まえているのだろう(筆者くまんパパ説)。この解釈が成り立つとすれば、作者が独立したのは、それまで庇護してくれた「両親」からだろうか。「これゆえに、人はその父母を離れて偶つまと契りを結び合う」という旧約聖書・創世記のアダムとエヴァ(イヴ)説話の結語エピローグが想起される。そうだとすると、この歌は若い女性が親元から離れて世の荒波に身を投じつつ、自由な生き方と恋愛の海に出帆する宣言であり、それとなく悲壮な覚悟さえ織り込まれていると読めそうだ。そんなこんなにもかかわらず、一見してそうした技巧を全く感じさせない軽やかで自然な表現にまで持っていった手際の妙。この一首を表題作とするデビュー歌集を引っ提げ登場した、作歌当時芳紀二十歳そこそこだったひとりの女の子のたくらみが、1300年の歴史を誇る短歌の可能性を大きく拓き、作者は短歌中興の祖(ネット的な表現でいえば「神」)となった歴史的傑作。・・・ ちなみに、自分のことはどうでもいいんだけど、ついでに書いちゃえば、私もこの歌集に影響され自作を始めた一人である。思春期の頃から詩や短歌・俳句は大好きで、かなりの詩歌を読んでいたが、非常に難しいものと感じていて、自分で詠んでみたい気も十分にあったが、とてもじゃないがハードルは高すぎると感じていた。が、この歌集に深く感動するとともに、「あ、こんな(一見)ゆるい口語体のライトな表現でもいいんだ」と啓蒙され、やがて自分でも作歌の真似ごとをしはじめ、仲のいい同級生の男女の親友たちにワープロでこしらえた粗末な「歌集」を贈って絶賛を得たのが、私の実作者としての出発点である。近ごろでは、謙遜抜きで言ってしまえば、ご覧の通りまずまずセミプロフェッショナル的な立ち位置にまで到達できているのかなと思う。・・・俵さんには、生涯足を向けて寝られない* 2014年7月6日の記事に加筆修正して再掲。