月谷小夜子「女に酔わず酒に酔え」 1
月谷小夜子 女に酔わず酒に酔え オミズ物語楽天ブロガー仲間の土壇場サヨコさんこと、月谷小夜子さんの著書です。(以下、文中では「サヨコさん」または「ママ」などとします。)僕は、見かけも心も饒舌な男なのですが、一つのテーマで文章なりをきちっとまとめるのは大の苦手。自分が言いたいことを、勝手にダラダラ言うのは得意なんだけどねこの本の書評・レビューを書こうかなと思って、一読、再読、熟読玩味していると、いろいろと思いつくことは少なくないのですが、なかなかまとまらないので業を煮やして、順次未完成の「草稿」を掲載しちゃいます。決定稿はあとでまとめることにします。なお、著者とは、日常的にコメントなどを貰って、インターネット上でかなり懇意にしていただいている仲なのですが、不特定多数の皆さんに紹介し、アフィリエイト・リンクもするからには、やはりある程度責任も生じるだろうと思います。ここは、なるべく客観的なレビューに努めるべきであろうと思います。まず、結論から言えば、すばらしい、興味津々の面白い本です。読み始めたら、巻を擱(お)くあたわず、やめられない止まらない♪1,300円は、決して高くない。文学、ことに詩作趣味のある(・・・ってことは、世間的にはやっぱり少し変り種か)、知的でセンシティヴ(感受性豊か)な“オミズ”ママの、爽やかで愛しくて、それでいて哀しくて辛くて痛くて、酸いも甘いも噛み分けた人生のほろ苦い(ビタースィートな)味わいがちりばめられた好著です。・・・そして、ささやかな幸せに至る終章。今ハヤリの言葉で言えば、彼女の一種の「自分史」であるとも言えるでしょう。もちろん彼女も、自ら望んでなったのではない、若干「ワケあり」な境遇も語られているのですが、懸命に誠実に生きてきたオミズ一代の泣き笑い、哀歓が、あくまで瀟洒で軽やかな洗練された筆致で綴られていて、辛くて暗い話題が書かれているくだりでも、決して重苦しくなりすぎず、さらりと読めます。面白いと同時に、サヨコさんのひたむきな生き方がたまらなくいとおしくなって、思わず彼女を抱きしめたくなってしまいます全編を通じて、文章が非常に上手いのも見逃せない点でしょう。そのため、読みやすいのはもちろん、おそらく彼女がもともと資質として備えているものなのでしょうが、一種の品格というか気品が、終始失われません。彼女の文才は、ブログを一瞥しても明らかですが、特にこの本の文体は、引き締まって冗長さがなく、簡にして要を得た達人の文章だと思います。行間に、爽やかな微風がそよぎ続けていて、後味がきわめていい。ひと言で言えば、プロ級であるといって間違いないでしょう。(美人は何を着ても似合うので)ジーンズも似合いますが、やはり凛とした風情の和服が最も似合う彼女らしい文体と言うべきでしょうか。飲み口すっきりの端麗辛口。竹を割ったようにスパっとしたところもあるのは、九州出身のなせる業か。いや、これは東男の、九州女への先入観(偏見)かも知れませんが。この文章は、相当な推敲の結果なのだろうと思いますが、もしこれがすらすら自然に書き下ろされたものなら、驚倒ですね。さて、「酒場は人生の学校だ」という言い方があります。酒飲みが夜のちまたに足繁く通う言い訳という側面もあるでしょうが、やはり一面の真実を衝いた言葉だと思われ、思わず納得させられます。銀座ママが書いた本などがもて囃されたこともありますが、やはり「銀座ママの目で見た、出世する男とは?」みたいな、サラリーマン実用書の性格が強かった。それだけ、僕らにとって身近で、しかも世間と人生の縮図だからでしょう。そして、酒場のママやベテランのホステスたちが人物鑑定・男鑑定の達人であるという、一種の神話が成り立っている証拠でもあります。そこでは、肩書きや学歴などはたいてい役に立たない。むしろ、しばしば有害無益なぐらいです。赤裸々な、真の人間性が露呈してしまうからです。社会的な場で抑えられていたわがままも顔を出します。サヨコさんも例外ではなく、男たちを熟知し、なだめ、「癒し」を与えたいと願っています。“帰宅拒否症候群”の男たちもいます。ママや女の子たちをからかって困らせるのが趣味(悪趣味?)の男もいます。ひたすら酒が好きな男、カラオケ三昧の男。ママの唯一最大の弱点は、生来の(?)音痴であることなので、これは困ります。しかしサヨコさんも涙ぐましい努力をして、弱点を克服しようと試みました。その結果は、・・・お客様の感動を呼びました。そして、インスタント失楽園願望。ありていに言えば「一発やらせろ」の男たち。だが、サヨコママは、夢を売っても春は売らない。・・・その言い逃れのテクニックの虚々実々。そういった男たちの夜の生態発掘あるある大辞典も、微苦笑・哄笑、我が身になぞらえつつ失笑の連続です。しかし、この本は、そういった、いわゆる客の「品定め」的な露骨な記述はそれほど多くはないように思われます。考えてみれば、部外者から見て面白くはあるが、けっこう失礼なことですからね。そういうことには慎重な、礼節を弁(わきま)えたサヨコママなのでありまする。また彼女は、もちろん冷静な経営者でもあります。その日その日の売り上げの増減に心を痛め、店の商品である今どきの若い女の子たちの気まぐれとわがままに日夜心を砕きます。ある日突然、女の子が「ママ、お話があるんですけど」と来る。開店時間の直前です。一人やめるだけならまだいい。ほかの女の子たちと示し合わせ、客ごと引き抜いての、一大クーデター!!その、美人だが虎視眈々とした18歳下の女の子は、あとで仄聞したところでは、「サヨコだけには負けたくない」と日頃言っていたということです。「黒革の手帖」かよっ!!・・・お~コワっ!!!もっともこれは、いかにサヨコさんがこの世界で一目置かれているかを示しているように聞こえなくもありません。僕も、小さな会社の経営者です。この辺りは、読んでいてまさに“痛かった”。身震いがした。共感と同情を禁じえません。・・・人の不幸は蜜の味?・・・怖いもの見たさ?皆さんも、本書を読んでゾクゾクして下さいとはいえ、むしろ、この本の大きなテーマは、愛です。そして、ささやかな幸せです。この点については、また次回。さて、こういう「オミズ(水商売)」の世界をめぐるエッセイといえば、往年の福富太郎氏の数多い著作があり、僕はずいぶん愛読してきました。なにしろ、内容が無類に面白いのです。昭和20年代、焼け跡闇市時代の東京で、一介のキャバレーのボーイから身を起こし、ついには“キャバレー王”に上り詰めた福富氏の人生指南書、“女性取扱説明書”、ある視点から見た「昭和史」、そして「自分史」の趣きが横溢しています。福富氏は、自ら創業したキャバレー・チェーンに「ハリウッド」と名付けるほどだから、映画好き、女優好きらしい。・・・というか、テレビもなく、映画が唯一の娯楽だった年代だから、話題の共通項なのでしょうが。氏の本を読んでいると、「『若草物語』の頃のエリザベス・テイラーのような、輝くばかりの美人ホステス」(・・・が、実はまれに見るヴァンプ毒婦だった)とか、「田中裕子のように、ちょっとこまっしゃくれたところがあるが、可愛い娘」とかいう表現が頻出する。その筆法にならえば、サヨコさんはさしずめ、「グレース・ケリーのように色白でスレンダーなクール・ビューティ」といったところでありましょうか。彼女のブログの中で、時々ちらりちらりとチラリズムで見せてくれる自画像(自写像)写真からも、その美貌は十分察せられます。サヨコさん、ちゃんと、しげしげ見てますから~なにしろ、この本の中で何気なく告白しているところによると、彼女は身長172cm、体重49kg!!!!!だそうです(ブログによると、この身長は若干違う。)「太り方があったら教えて頂戴」と、ダイエット食品の押し売り業者に啖呵を切るほどのモデル体型の持ち主。それは、小夜子という源氏名とも無関係ではありません。ジャパニーズ・クール・ビューティーの第一人者で、先ごろ惜しまれつつ亡くなった絶世の美女・山口小夜子さんから取ったということです。・・・う~む、似合っている。(もっとも、この情報はこの本には書いてありません。僕が自分のブログに載せた、山口小夜子さんの追悼記事に彼女が寄せてくれたコメントで知ったことです。そういえば、彼女と知己を得たのも、この時からだったかも知れません。)書評うんぬんよりも、まず思わずにいられないことは、17~18年前、いや10年前でもいいから、サヨコさんともっと若い頃に知り合っていたならな~、という感慨です。せめて、その頃にインターネットやブログというものがありせば・・・。「有益な発明は、いつも遅すぎる。」(イタリア映画「ニューシネマ・パラダイス」)あらかじめインターネットというツールがある、今の若い人たちがうらやましい、いや、うらめしい。私ごとではあるが、その頃、といえばもうヘタすると10年一昔の二昔に近いのですが、バブル絶頂期の1990年前後、うたかたに咲いた泡沫景気のただ中で、僕も羽振りが良かったし、何より若かった。地元青年会議所から出向して、日本青年会議所(JC)広報委員会のメンバーとして健筆を振るっていました。日本JCの機関紙、刊行物の多くは、今もそうなのかどうか知りませんが、東京大手町の産経新聞本社で編集・印刷されていました。編集・校正作業のため、毎月何度も東京に出かけていました。むろん、やるべきことが終われば、酒盛りの段とあいなります。それを、わざわざ広報委員長の地元である川崎くんだりまで行ってやっていたのだから。それを、大宮の彼女のお店でやることは、十分可能だったなあと思います。ま、こういうことは、言えば言うだけ虚しい繰り言でありましょう。光陰矢のごとし、覆水盆に返らず、過ぎ去った月日は帰らず。しかし、書物は残る。思い出も残る。しかも、まだ触れていない、すばらしいお嬢さん、息子さんという無比の幸せが、彼女にはあります。次回は、いよいよその辺りについても触れてみたいと思います。なお、文体の「です・ます体」は、書いていてヒジョ~に疲れる。僕には向いてないことが分かりました。以後は「だ・である体」に戻します