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sinokの【私情まみれの映画考察】

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February 7, 2010
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カテゴリ:映画「あ」行
クリント・イーストウッドは説明をしない監督だ。
マンデラがどんな人生を送ったのか、何が彼をああいった人間にしたのか、彼が具体的に何を成したのか、そんなことは一切説明がない。
弱かったスプリングボックスがなぜ強くなったのか、強くなるために主将ピナールは何をしたのか、そんな具体的なエピソードはまったく描かれない。
南アフリカの人々が、スプリングボックス(南アのラグビーのナショナルチーム)の試合に何を思ったのか、どうして白人と黒人が手をとりあうことにしたのか、そんなことは誰一人話さない。
ラグビーのワールドカップを物語の中心に据え、ただそれを取り巻く人々をカメラは映す。
作為的なセリフはなく、ただただ、最初の南ア対イングランド戦から、最後の対NZ戦までの人々の変わりようをカメラは追う。
マンデラとピナール、そして人種間のわだかまりが解ける象徴としてのSPたち(まさに劇中でマンデラが話したとおりだ)の、短いセンテンスで語る言葉が、観客の意識の行く先を示してくれるだけだ。
それなのに、どうしてこんなに伝わるのだろう。
マンデラの偉大さ、ピナールの誠実さ、そしてなにより、南ア史上もっとも幸福な瞬間が。
『グラン・トリノ』の先に、こんな幸福な映画がやってきた。
クリント・イーストウッドという人は、なんでもう80になろうというのに、人間を見つめる目というものが進化し続けるのだろう。
超一級の男である。

原作は未読だが(読む気満々)、この映画で描かれたマンデラは、ノーベル平和賞をもらったマンデラ、というイメージとは少し違う。
国を損なわずにまとめ上げるには何をすればよいのか、彼はおそろしくよくわかっていた政治家である。
彼は決して平和運動家ではない。明確なビジョンと、伝える言葉と、形にするテクニックをもった超一級の政治家なのだ。25年も獄中にいたにもかかわらず!
(どっかの極東の政治家に見せてやりたいわ)
超一級の男が、超一級の政治家を撮った映画なのだ、これは。
それも、ラグビーを通して、だ。

ラグビーのルールは、なかなか前に進めないようにできている。
ボールを前にパスすることはできないし、前に落としてもダメ。
前に蹴るのはOKだが、ボールの落ちるところがまずいと、蹴った位置に戻されたりする。
人のいないところに突進するのではなく、人のいるところにぶつかっていき、わざわざもみあい状態をつくらなければならない(正確にはもみ合いではないんだが、知らなければそうとしか見えない)。
走れば激しいタックルが襲ってくる。倒れればボールを奪いにくる相手(時には見方)に踏み潰される。
ラグビー選手に一番必要なことは、心身ともに忍耐力があることではないかと思えるほど、ラグビーの試合は艱難辛苦の連続だ。
その様が、マンデラの人生と、南アの再生と、スプリングボックスの再生の、その道程の象徴のように見えたのは、私の考えすぎだろうか。
この映画はフィクションではないから、そういうった意味づけは無意味だけれど、でも。
ラグビーは人生とも政治とも重なる。艱難辛苦の末、成功を手にする。しかも、それは一人では成しえない。
ラグビーはポジションごとの役割が明確でプレーも複雑なため、一人や二人スター選手がいるだけでは勝てず、むしろ結束力と闘争心の強いチームの方が勝つこともある(そこに才能が加わったチームこそが、無敵となる)。
あのワールドカップの年の南アこそ、まさにその好例だ。
南アの選手は世界有数の巨人チーム(マット・デイモンが小柄なのでそうは見えないが、実在のピナールはめちゃめちゃでかい)で、実際はもっと有力視されていたが、やはり実力ではNZやフランスには劣っていたはずだ。
当時の私は日本チームの情けなさに落ち込む一方、第一回WC以来のNZびいきで当時はアンドリュー・マーティンス(劇中何度もゴールを決めるNZのSO)がお気に入り。
ロムーは・・・ちょっと怖かった(笑)
南アにとっての、あのWCの意味なんて考えもしなかった。
どうしてあの年の南アが強かったのか、この映画をみて初めてわかった。
そして、ラグビーの、スポーツの力に改めて深い感動を覚えた。

クリント・イーストウッドはアメリカ人だ。アメリカでのラグビーは、日本でのそれ以上にマイナースポーツのはずで、彼がラグビーのことなど知るはずもない。
それなのに、どうしてこんなに、ラグビーのよさを撮れるのだろう。
ラグビーの魅力がスクラムやラックやモールにあるって、タックルにあるって、どうして知っているのだろう。
ラグビーの迫力が、体と体がぶつかるあの音にあるって、いったいどうして気づいたんだろう。
クライマックスのNZ戦、あれをあんなに時間をかけて映してくれるなんて、思いもしなかった。(全体の4分の1近い!)
南アのために血をにじませながら戦う男たちを見て、南アがひとつになっていく、あの至福の時間。
どうして、それが、クリント・イーストウッドにはわかるんだろう、そしてそれを、どう撮ればいいのかなぜわかっているのだろう。
私にわかるのは、マンデラと、南アと、ラグビーに、深い敬意をもって撮っているということ。
そんなことができる映画監督が、いったい何人いるだろう。
今回は映画ファンとしてではなく、一介のラグビーファンとして、あなたに深い感謝を。
ありがとう、イーストウッド。





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最終更新日  February 7, 2010 10:46:00 PM
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