ドラクロアの描いたショパンは、28歳の時の肖像。
そして、シェフェールというほとんど無名の画家の筆による肖像は、
37歳の時の姿である。
作者が誰であるかを知らされなくても、どちらが芸術として優れているかは明かで
ある。しかし、ショパンはドラクロアの描いた肖像がシェフィールのものより
自分に似ていないという理由だけで、気に入らなかったようだ。
ショパンには画家の深い洞察力など理解できなかったのだろうか。
サンドのこんな証言がある。
‥‥でも、ショパンは友人(ドラクロア)の絵を見ると文字通り苦しみ、
言う言葉が見つからないのでした。彼は音楽家であり、それ以上のものでない
のです。彼のアイデアは音楽にだけ移すことができるのです。彼は奥の深い、
極めて繊細な心情の持ち主ですが、絵や彫刻はまるでわからないのです。‥‥
何とも辛辣な言葉だが、彼の芸術をもっとも理解し、かつ身近に接した
サンドの証言だけに、真実なのだろう。
ドラクロアがこの肖像画を描いたのは、1838年である。
その年の11月ショパンはサンドとともにマジョルカ島に転地療養に旅立つ。
実は、このショパンの肖像の隣にはサンドの姿描かれていた。
つまり、一枚のキャンバスに二人の肖像が一緒に描かれていたのだ。
後年、所有者の経済的理由で、2枚に切り裂き売り払ってしまったらしい。
何とも無茶なことをしたものだ。
ショパンの肖像は現在、パリ・ルーブル美術館に、サンドの肖像は
コペンハーゲンのアルド美術館に別々に所蔵されている。
さらに、ルーヴル美術館には、この肖像画の構想と思われる鉛筆スケッチも
残されている。
それには、ショパンがピアノを弾き、サンドがそれに聴き入っている姿が
描かれているという。
しかし、ドラクロアはこの構図を捨てた。
「ショパンのピアノを聴くサンド」というありきたりのアイデアから、
ピアノが削られ、ショパンの横顔のクローズアップ(ピアノの前に座って
いるように見えなくもない)と、それを静かに見守るかのようなサンドの姿だけを残した。
一枚の絵に描かれたショパンとサンドは、所有者の身勝手な理由によって
引き裂かてしまった。
ドラクロアには申し訳ないが、この悲劇によって二人の愛憎は、ますます
ドラマチックなものに見えてくる。
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