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カテゴリ:海外スケッチ紀行
1933年頃、英国の劇作家バーナードショウが上海を訪れて、 中国の思想家魯迅などの前で、講演を行った頃、上海には、 英米、フランス、イタリア、日本の軍隊が共同租界に駐留し、 一方で十九路軍と言う共産主義の軍も、反共的蒋介石の軍隊も 駐留し牽制しあうという不思議な混沌とした状況にあったそう。 かって外人租界の魔都と言われた上海は、 大学教授や芸術家が暗黒街の地下組織の親分集と 一緒にジャズを楽しむような自由豁達な気風に満ちて、 東洋と西洋文化が混淆した上海文化が花開いた時代だったとも。 その後、日本軍が侵略して南京から上海まで占拠して、 暴虐の限りを尽くして破壊つくすまで。 今、その上海は、明るい都会に生まれ変わっていた。 東欧のくすんだ活気の無い街に比べて、これが共産圏の街?と疑うほど、 東京都庁や赤坂プリンスホテルのような立派な高層ビルが立ち並び、 歩行者天国の街の中心は、若者たちの活気に溢れていた。 春浅い3月の候、仕事で上海近郊に二週間ほど滞在してきました。 上海から2時間、北上して揚子江を渡った対岸の南通市。 川重、東レ、丸紅などのたくさんの工場があるとかで、 日本人は、600人ほど常駐している工業都市。 日本料理屋が10軒ほど、こんな明るい中国の 娘さんが出迎えてくれました。 時給150円前後なのに、みな希望に満ちている顔ばかり。 給料は、日本の企業の工員さんで6万円。 通常の中国の平均月収が1万円以下なので、 この上海近郊の経済圏は豊かなようでした。 中国料理のレストランの若者も、どこか明るい。 日本のように、遊びほうけている学生や若者があまりいない。 本屋には、英語や日本語を学ぶ参考書を求める若者でいっぱい。 みな、働いているか、何かを身につけようと必死に生きていた。 次回は、休日の美しい山上の寺院散策です。 このブログが気に入ったら、クリックしてくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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