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つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

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2009.07.25
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カテゴリ:創作・パロディ
街を自転車でぶらついていた。
駅の裏道に差し掛かったとき、突然、鼻を突くような異臭に襲われた。
サリンではない。ホームレスの臭いだった。

彼がどんな姿をしていたか、説明するのはよそう。
読者はただ、おのおのに不潔で汚らしい初老の男性を自由に想像してほしい。
問題は不具の方だ。
生きている人間に対して、久しぶりに吐き気を覚えたのである。

不具は肢体不自由養護学校で教育を受けた。
昔は、重度の障害者は学校に行かなくてもよかった。
義務化された昭和54年ごろから、ぼちぼち重度の身障者が学校に来るようになった。
中には重い知的障害を併せ持つ子供もいた。

そういう児童に対して、小学生だった不具は素朴な嫌悪感を持ったのである。
自分は違う、あの子達とは違う。
自己防衛の心理が働いていた。

何より苦痛だったのは給食の時間だった。
同じ学校の後輩たちがのこす残飯が、駅の吐瀉物のように見えた。
吐き気を催し、後輩たちに対しても吐き気を覚えた。

その不具は今、養護学校の先生である。
罪滅ぼしのようなものである。
自分がアスペルガーだと自覚して以来、昔の嫌悪感は雲霧消散してしまった。

歌の文句ではないが、
「人は悲しみが多いほど/人にはやさしくできるのだから」
という感じだ。
気が付かない人間なので、人にやさしくなったという感じはしないが、人のつらさはわかるようになった。

生徒たちに対しても、ひそやかな仲間意識をもって接してきた。
肢体不自由の生徒たちの摂食を見ても苦にならない。
それよりも、教えることより、教わることの多い毎日である。
ありがたくもあり、これでいいのかとも思う。

だがあのホームレスのおじさんに対しては――

あの人は不具の仲間ではないのだろうか。
あの人もまた発達障害者のなれの果てではないのだろうか。

それなのに反射的に拒否反応を起こした。
不具の本質は昔とちっとも変わっていないのではないだろうか。

先日、不具を創価学会に誘ってくれた先生の顔をふと思い出す。
身障者仲間の学会員は多い。
だが浄土真宗の他力本願とイエス・キリストの生涯の間を揺れ動く不具は学会に限らず、いかなる宗教的お誘いも拒否してきた。

善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。

不具は善人ではない。そのことは自分が一番よく知っている。かつまた人智を超えた神がこの世界に遍在されるのなら、その方の眼にあまねく人類は皆平等であろう、とも思う。
いささか旧い表現をするなら、われわれは皆天皇の赤子なのである。兄弟同士仲良くせずば、親はどんなに悲しむか。

天皇という言葉が嫌いなら、キリストでもいい。神でもいい。不具という人間はどうやらそういうものに救いを求めなければ、生来の自我を矯めることができない存在らしい。

考えながら自転車をこいでいるうちに、いつの間にか穹には一番星が出ていた。






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Last updated  2009.07.25 19:30:08
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