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2019.10.19
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カテゴリ:現代日本文学
この映画​はノンフィクションである。村上春樹の小説を、日本語からデンマーク語へ直接翻訳してきた翻訳家に密着取材したドキュメンタリーである。

というのは正確ではない。確かにそういう側面もある。彼女は日本語を読み、話し、聞く。勿論書けるかもしれないが、映画にそのシーンは出てこない。彼女は今村上の初期作品を訳している。「完璧な文章などと言ったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」『風の歌を聴け』の冒頭である。これをどう訳すかでいろいろ悩んでいる。

欧米人の目から考えてみよう。彼らにとって「完璧な文章」が存在するとすればそれはまず聖書である。しかし村上によれば聖書すらも完璧な文章ではない。ではそれは瑕疵なのか。とんでもない。村上はこうも言う。「完璧な絶望は存在しない」。つまり、突破口はある、希望はある、道はあるということだ。神を信じられないからといって絶望することはない、そういっているようにも聞こえる。

勿論この映画の翻訳家や、世界中の村上春樹の愛読者が、そういったことを意識して読んでいるとは限らない。またこうしたものの見方はキリスト教を意識した偏ったもの見方であって、東洋人には東洋人の、日本人には日本人の読み方があっていいはずである。勿論、デンマーク人にはデンマーク人の読み方が。

その際、彼女は、もし村上がデンマーク語で小説を書いていたら、どのように文章を綴っただろう、と考える。だから重訳ではなく直接の翻訳にこだわるのである。文章の意味をきちんと伝えるだけでなく、その文体、雰囲気も正確に伝えなければならない。その結果、彼女の翻訳を読んだデンマークの読者は彼女こそが村上そのものだと思い、他の人の翻訳を受け付けなくなった、という。

ここまではノンフィクションについて語ってきた。ところが、この映画はそれだけではないのである。​『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』​​『海辺のカフカ』​​『1Q84』​のように、もう一つの世界が交錯する。そこでの主人公は「かえるくん」だ。

かえるくんは、森から出て、翻訳家を追いかけ、語り掛ける。無論直接ではない。二足歩行するかえるをみたらいくら村上世界に親しんでいる彼女でもびっくりするだろう。かえるくんのいうところによれば、みみずくんと戦うために「きみ」のちからが必要なのだという。どうやらみみずくんは地下の(無意識下の)悪らしい。かえるくんは「きみ」に協力を求め、「きみ」はそれに応じた。夢の中で。

ドリーミング村上。

みみずくんは深手を負った。けれどもまだ戦いが終わったわけではない。けれど絶望することはない。「完璧な文章などと言ったものが存在しないように、完璧な絶望も存在しない」のだから。


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Last updated  2019.12.22 22:06:53
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