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テーマ:雑誌を読みましょう。(128)
カテゴリ:雑誌
バイト。
冷房が強くて下痢になる。 昼食。まぐろ市場、山かけ丼。ドトール。 文學界、購入。 神保町、寄り道。東京堂、三省堂。 駅を降りたら雨。 帰宅。 「文學界」・特集「落語探求」、読む。 談志師匠インタビュー、「家元、文学を語る」。聞き手、澤田隆治。 太宰治、芥川龍之介、永井荷風、夏目漱石、岡本綺堂、子母沢寛、司馬遼太郎、色川武大などを評価。もちろん、落語についても。 小島政二郎の話。「晩年に、『年をとったら、見るものが何もなくてつまらないねぇ』と嘆いてたんで、何の気なしに、『先生、映画だとか、芝居だとか、ミュージカルだとか、いいのあるじゃないですか』と言い返したら、『きみぃ、僕はピン芸が好きなんだよ』と言われた。衝撃を受けましたね。そうか、落語や講談というのは一人でいいンだ、余計なものは何も要らねぇすごいもんなんだ。と同時に、客は一人のいい芸人に出会えれば他のものを見る必要がない怖いもんでもある。」 「志ん生とか金語楼とか権太楼とかっていうのは、あたしにはみんな四次元の世界を知っているように見えますね。落語っていうのは四次元の世界なんて考えず、三次元のリアリティーがあればよし、って時代が長く続いたでしょう。」 志ん朝が「もうちょっと生きていたら、四次元を感じさせる部分が出たのかもしれないけれど。円楽なんてまったくないですけどね。」 「談志なんて能書きこくだけ始末が悪い、昇太でいいじゃねぇかって意見もあるわけですよ。」 「『なんとかドラゴン』みたいなドラマが当たって、それで若い奴がはじめて寄席に来ると。」 「だから俺みたいのと昇太みたいのが、両輪あれば一番いいんだろうけど、現状からみればあっちが圧倒的多数じゃないの。」 妙に昇太師を意識しているように思える家元。手塚治虫が、若手の大友克洋をライバル視していたような感じにも。 対談「落語の自由」、昇太×談春。 昇太師の落語論は、比較的、目にする機会が多いので、ここでは談春師の発言が新鮮。噺の構成についての話がとても面白い。 「このあいだ談志に言われました、『噺を削ってでも短くしろ』と。ぼくらからすると信じられないような大きいネタでも、『あんなもの、二十分か二十五分もありゃできる』とかね、『とにかく削れ。クスグリを削ってもいいから削れ』って。」 「A、B、C、D、Eと構成されている噺があったとする。それをたとえばA、D、C、B、Eみたいに構成し直しますよね。またCをカットして、A、D、B、Eにする。違和感もないし、それでもっとおもしろくなったかもしれない。一回それが成功すると、これは気をつけなきゃいけないなと思うのは、今度は生理でカットしちゃうこと、ないですか。自分では確かに根拠をもとにカットしたつもりなんだけど、つまんないんじゃなくて、やりづらいところだけポーンと取っちゃう。」 「すごい人はカットした分、自分で何か新しくつくって足しますね。うちの師匠はそういう構成はうまい。うまいってオレが言うのも不遜だけど(笑)、ズバーッとここからここまで切っちゃう。」 一昨日、僕も人前で落語をやったばかりなので、だからこそよくわかる話もある。 昇太「落語家は機嫌がよくないとね。」 談春「イヤなときあるんですけどね、やっぱりお調子者なのか、高座に上がっちゃうと一生懸命やるんです。出るまですごいイヤなんだけど、出るとすごく楽しいから、ちゃんとやんなきゃ、と。」 一昨日から、落語の反省ばかり。もっと上手いやりようがあったに違いないのに。 円生を聴きながら眠る。 もう今は、落語と安めぐみのことしか考えられない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年08月09日 23時03分17秒
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