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テーマ:雑誌を読みましょう。(128)
カテゴリ:雑誌
休日。
雑誌。「文學界」、読む。 ![]() 十一人大座談会「ニッポンの小説はどこへ行くのか」。司会、高橋源一郎。出席者、岡田利規、川上未映子、車谷長吉、島田雅彦、諏訪哲史、田中弥生、筒井康隆、中原昌也、古井由吉、山崎ナオコーラ。 五十年前に同誌で行なわれた十三人の作家・評論家による座談会「日本の小説はどう変わるか」を踏まえた大座談会。こんな面白い顔合わせは最初で最後、なかなかあるもんではないんじゃないか。作品を読むよりも、よっぽど、作家それぞれの個性をつかめると思うが、どうでしょう。 中原昌也が期待通りの発言連発。「不眠症の上に風邪薬飲んじゃって朦朧としているんですよ。もう頭に浮かぶ言葉は全部ネガティブなことしかないから、あんまり言いたくないな。」「滋養強壮剤が欲しい。」「なんで日本では路上で覚醒剤売ってないんですかねえ。」 「ワーグナーみたいな仕事をしたい」という島田雅彦に、「やっぱり島田さんは書きながらワーグナーを聴いたりするんですか(笑)。」「ワーグナーを聴くとやる気がわぐなーっていう、駄洒落をさっき考えたんですけど(笑)。」 これからについて。「五十年前でも僕はここにいなかったでしょうが、いまだっているのはすごく違和感がありまして、そもそも僕が小説を書いていること自体、北朝鮮の工作員に拉致されて、何かやらされている、ここに来させられた感じさえしていますね。そういうむりやり、生活のタネとしてやっているなかで、世の中の人がいま小説を書くのって、結局、好きだからとか、やりたいからとか、そういう理由でみんなやっているにすぎないんですよ。おそらく、僕以外の人たちは。べつにここにいる人たちを批判するわけじゃないんですが、好きとか嫌いとかっていったいなんだろうと思って、それでしか小説は書かれないのかという気持ちがあります。」 高橋源一郎が「でも中原君、書きたくなければ、書かなきゃいい。拒めるよ。でも、中原君は書いちゃうんだよね。」と言えば、「いや、それは、書かないとやっぱり、書きたくないっていうことが伝わらないから(笑)。」 しかし、それよりすごいのが車谷長吉で。「僕は三十一歳から三十八歳まで、京都、大阪、神戸で料理人をしていて、料理場の下働きをしていたんです。そこへ三十五歳ぐらいのときに、尼崎へ新潮社の前田速夫さんが訪ねてきて、とにかく料理場の下働きなんかやめて、小説を書いてくれというのが発端だったんですね。」「僕は、二十代のときに、一回、小説を書いて、新潮新人賞に投稿したんですよ。そのとき僕は受賞せず、山本道子さんという人が受賞したんです。ところが前田さんはそれが残念でね。」 諏訪哲史「そうすると、さっきの、中原さんが「拉致されてきたみたい」という無理強い的な状況と非常に似てくるような……(笑)。」 最初に投稿した作品を書いた動機を、川上未映子、山崎ナオコーラ、諏訪に訊かれると、「それはですね、私の実家のおばあさんが九十歳で死んだわけです。そのとき、死の直前に、自分の肖像画を描いてもらいにいくわけです。それをとにかく仏壇の裏側に隠しとくから、自分が死んだら、家に掛かっている明治天皇の御真影の隣に自分の肖像画を掲げてくれと……。」 高橋「書きたいことはあったということ?」 車谷「おばあさんはね、肖像画を描いてくれと……。」 川上「違う、違う、小説の……。」 車谷「お、ば、あ、さ、ん、は、ね……(笑)。」 高橋「川上さん、この人は、わざと聞こえないふりしているだけだから(笑)。書きたくて書いたと、絶対言わないですね、中原君の上を行ってるなあ。」 昨日買ったCD。 清水ミチコ「歌のアルバム」、聴く。2005年発売。 ものまね中心。過去のアルバムに比べて、タモリっぽさというか、スネークマンショー的なムードがなく、いい具合に軽くて楽しい。 ![]() 昼寝。 テレビ、あれこれ。 ◆「いいとも」テレフォンショッキング、桂吉弥。初登場。 “徒然亭一門”から花が。タモリ、「ちりとてちん」をきちんと認識している様子。観てるのか。 ◆「めちゃイケ」、「笑わず嫌い王決定戦」後半。 谷間の世代、NSC12期生を救済しようという意図か。しかし、関東在住者としては、「フルーツ大統領」の存在は知っていても、あまりピンとくるものではない。 COWCOW。品川庄司やバナナマンらと「ブレイクブラザーズ」という番組をやったりして、わりと好調な時期もあったのだが。軟派なトーンで愛嬌のある漫才だが、よく見ると、ふたりそろって目つきが悪いのが難点か。 フルーツポンチ。吉本興業、若手のイチ押しと見て良いのだろうか。「往年のウンナンの様な演技力で魅せるコント」と紹介されていたが、ウッチャンナンチャンのような小劇場っぽさはあまり感じられず、それよりもむしろ、劇団ひとりのかつてのコンビ、スープレックスのような。 小藪千豊。顔芸。まったく取るに足らないネタだが、これは小藪の本質を伝えるものなのか。 ナイツ。はなわの弟であることを思えば、ここに登場することにはそれほどの意外性は感じないのだが、漫才は予想よりもはるかに面白かった。やはり、キャリアが落ち着きを産むのだろうか、客の側をしっかりと向いた漫才。ただ、ことばを間違えていくだけの、たんたんとしたシンプルな構成なのだが、ひとつひとつは小さな笑いでも、これだけの密度で積み重ねられると、かなり、馬鹿馬鹿さが増幅していく。サンドウィッチマンのような例があると、それに負けず劣らずの爆発力を秘めているのではないかとも思いたくなるがどうでしょう。 土肥ポン太。「R-1」に2年連続で決勝まで残っている、または、残されている理由がよくわからなかったのだが、「R-1」で披露したようなネタとは違うタイプのネタもあるのだな。しかし、着想はともかく、描写は雑に思えるけれども。 ◆「やりすぎコージー」、結婚式2次会芸人。 肝は、座持ちの良さということになるだろうか。本芸と余芸の境界があいまいになっているということも、現象として興味深い部分。 ラジオ、あれこれ。 ◆「みうらじゅんのサブカルジェッター」、ゲスト・杉作J太郎。 みうら「俺、あのー、3年ぐらい前かな。新宿の、歌舞伎町んとこの映画館で、『悪魔の住む家』かなんかのリメイク版のやつ、観に行ったんですよ。エレベーターで、新宿で新聞配達しているタイガーマスクの面被ってるおじさんと一緒だったんですよ。で、狭いエレベーター乗って、上がっていったんですけども。なんか、新聞配ってんのかなと思って、その映画館に、と思ったら、どうやらその映画、観にきてらっしゃったらしくて、一緒に入ることになっちゃって、みんながわーっと一斉に見たんですよ。なんか、拍手が起こっちゃって。なんか、トークショーでもあるんじゃないかみたいな。」「そのおじさん、ホラー映画観ると必ずいるんですよ。『七人のマッハ』観に行ったときも、また一緒で。趣味、一緒なんですよ、あのおじさんと。」 ◆「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」、ゲスト・町山智浩。 町山「俺、映画評論でいちばんヤなのが、調べないやつが多すぎるんですよ。」「日本の映画評論って結局、調べりゃわかることを絶対調べないで、そのままスルーしていく文化だから。」「感想を書いちゃダメだってことですよね。小西さんがやってるさぁ、『ブラボーシネマ』っていうんですかね。良かった、あの俳優は良かった、あそこんとこは良かったって言ってるだけで、それは感想だからさ。それは映画評論じゃなくて、いい悪いってのはひとそれぞれだから、じつはそれは、言わないほうがいい。観たひとによって違うから。でも、決定的なことっていうのは、観ただけじゃわからない、本当の意味の部分を出してあげるのが、映画評論家の仕事だから。だからほら、グルメとかってそうだけど、美味しいとか美味しくないって、誰でも言えるじゃないですか。でも、これっていうのはなにが入ってるから美味しいんだとか、この部分はこういうふうに作ってるから美味しいんだってことを言えるひとは、評論家として成立するじゃないですか。でも、それじゃなくて、たいていは美味しいとか不味いとか、言ってるだけなんだよね、映画評論やってるひとって。それは、ただ食べてるひとだよっていう。ワインの評論家ってのがいるとすると、利きワインができなきゃダメじゃないですか。テイスティングができて、どこで作ってると。でも、映画評論の場合には、そういう技術がないひとでも評論してるんだよね。」 ◆「立川談志・太田光 今夜はふたりで」。 太田「“御茶ノ水の日”っつーのはあるんですか? 御茶ノ水博士の日っていうのは。あれ、水道橋あたりでやってんですかね。」 談志「あの、なんだっけ、浅草キッドって、あの小汚いの。あれ、良くなったほうだよ。」 太田「良くなりましたか? 俺はそうは思わない。」 談志「意見がわかれたね。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年04月02日 04時37分03秒
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