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カテゴリ:テレビ・バラエティ
1日中、自宅。
今日はわりと暖かい。 テレビ。 「フジテレビ笑う50年 めちゃ×2オボえてるッ!」。 「めちゃイケ」チームによるフジテレビのバラエティ番組50年史をたどる特番。2月に、さんま司会で同じ主旨の番組があったばかりなのに、なんでまた、と思ったら、あの特番での「めちゃイケ」の扱いがこの番組につながってるんだな。 2月の特番は、現在のバラエティ番組のルーツを過去の番組に見出そうという企画が軸になっていたのだけれども、「めちゃイケ」のルーツだけは放送時間内に納まらず、というオチだった。今度こそ「めちゃイケ」のルーツを、ということで、ナインティナインのふたりが、あの有名な港浩一バラエティ局長に放送枠の確保を直訴するところから番組が始まる。 「めちゃイケ」はドラマ的な仕掛けを作るのが上手い。前身である「とぶくすり」は、そもそも、「夢で逢えたら」の模倣から始まったコント番組で、「めちゃイケ」も当初はそうだったはずだが、90年代中盤の、バラエティ番組のドキュメンタリー化の流れのなかで独自の進化を遂げていった番組である。この番組が、「電波少年」から「ロンドンハーツ」に至る露悪趣味的なリアリティ・ショーよりもドラマチックな部分において優れているとすれば、コントから始まっていることが根幹にあるからではないかという気がする。「めちゃイケ」はドキュメンタリーのなかにコントの文法がある。 「めちゃイケ」チームに中居正広を加えたメンバーで、フジテレビが河田町からお台場へ移転した際にすべての資料を放り込んだという山九倉庫へ。ここから「めちゃイケ」のルーツを探そうというのだが、小道具の山のなかからさまざまなお宝が発掘されてしまい、同時に見つかったビデオをいちいち鑑賞してしまうことで番組が進んでいく。ただ過去の映像を流すのではない。ルーツを探すという本来の目的が設定されていることで、そこから脱線することが面白みになっている。 もちろん、今や、YouTubeで観られる過去の映像を、テレビでわざわざ流す意義は薄まっているに違いない。そこでは、なにを選んでどうつなげるか、DJ的なセンスが必須になるはずだが、そういう意味ではこの番組はとてもよく考えられている。画面外で注釈的なテロップを加えるのも、YouTube時代の見せかたとしての工夫だろう。 フジテレビのバラエティをふり返ればまず「ひょうきん族」だが、さんまの定番のキャラクターはここではあえてピックアップしない。いきなり、たけし・さんまのCMコントにおける「飲めましぇん!」をフィーチャーするのだから一筋縄ではいかないのだ。 鶴太郎がおでんで熱がるパターン、渡辺正行のおでこをオタマでたたくパターンができあがっていく経緯を見せるアプローチもていねいなものだし、菊地マネージャーの「プレイバックPart2」を「歌ヘタ王」のルーツとする説なんかはじつにうなるものがあるではないか。 「ものまね王座決定戦」から“ものまね四天王”。未だ現役感ばりばりのコロッケはいいとしても、栗田貫一、清水アキラがどれだけ面白かったを説明するには過去の映像を見せるのが手っ取り早いだろう。クリカンの「もしもシリーズ」で笑い転げる審査員たちのすがたが、当時のこのネタの新鮮さを伝えてくれる。五木ひろし、森進一、細川たかしのものまねで歌うマイケル・ジャクソン「BAD」の記憶が、ナイナイ岡村から出たことが嬉しいが、できればその映像も見せて欲しかった。そして、清水アキラ「ビチグソひとり旅」のすがすがしいまでのくだらなさ。ビジーフォーのここでの扱いは不当なものだが、これはまぁ、許容範囲だろう。 さらに素晴らしいことに、この番組は素人のものまねにたっぷりと時間を割いてくれた。肖像権とやらで再放送不可能なのかと思ってたが、ただの自主規制なのか。本人許可が取れているとは思えないのだけれども、実際に問題が起こることは少ないんじゃないかな。猿のものまねの三木ヒロシのVTRに、誰だかわからないが「このひと、プロになったよねぇ」という声。認識してらっしゃるようだが、本当はもともとプロなんだよね。素人といいつつ、ときどきプロが混じっている番組でもあった。最後に、倉庫のロッカーからレイパー佐藤が登場するサプライズ。個人的には、あのねのねの司会をもっと観たかったところでもあるけれども、物足りない部分はそれこそYouTubeで各自補えばいいのかもしれない。 続いて、「ドリフ大爆笑」。加藤・志村班のコントに的をしぼってがっつり見せていると思ったら、加藤茶、志村けんが山九倉庫に現れるという別格の扱いだ。TBSのバラエティ史ならばドリフは欠かせない存在だが、「ひょうきん族」を中心としたフジテレビバラエティ史のなかではドリフは軽視されてきたという面はあるだろう。加藤はともかくとして、志村けんは長期に渡ってフジテレビで単独の冠番組をやり続けてるにも関わらず、である。加藤、志村、岡村三つ巴の居眠り実演合戦は見事な即興コント。「27時間テレビ」を頂点としたここ数年の「ひょうきん族」の再確認作業の影で、見過ごされてきた歴史を取り戻す役割をこの番組は行っているのだとだんだんわかってくる。 「夕やけニャンニャン」から、とんねるずの「タイマンテレフォン」。これを放送することも自主規制の風潮のなかでは拍手だ。スタジオ観覧の暴れる観客たちにもいっさいボカシなし。「オールナイトフジ」、「一気!」でのカメラ転倒事件もたっぷり。闇雲にテンションが高い、得体の知れないエネルギーをとにかく発散させていたのが当時のとんねるずだ。 ここで、「ドリフ→とんねるず→ナインティナイン」という、「ひょうきん族」とは別のラインが浮かび上がってくる。「ひょうきん族」を中心としたフジテレビのバラエティ史へのアンチテーゼ。これがこの特番の真の狙いだ。 いや、じつのところ、「ひょうきん族」にはあとに続くラインがはっきりとしたかたちではないような気もする。「はねるのトびら」も「爆笑レッドシアター」もナイナイのあとに続くラインであろう。「ひょうきん族」にはそれに相当する大きな塊は見当たらない。 「めちゃイケ」のルーツに目的を戻せば、「夢で逢えたら」は欠かせないはずなのだが、ここではまったく触れられない。これはなんとも奇異に映るが、それどころか、「やるならやらねば」でウッチャンナンチャンはフォローするのに、ダウンタウンは完全無視なのだ。 ここにはなにか止むを得ぬ裏事情があるのかもしれないが、そこを探ることはここではやめておこう。テレビに映っていることだけで判断すれば、それに反発する意味があるのかどうか、番組全編を通じて使われているBGMが「しんぼる」の音楽であるところに密やかな悪戯心を発見する。笑いを作る仕事とはこういうものであるべきだというお手本。 最後には、港浩一とともに、なんと、港浩一に扮する木梨憲武が登場する。「ひょうきん族」のギャグであるオタマのパターンが憲武に適用されるのだが、その場面のBGMが「しんぼる」なのだ。この瞬間に、いくつにも枝分かれしたバラエティの歴史がひとつに収斂される、惑星直列にも似た壮大なロマンを感じざるを得ない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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