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カテゴリ:アクティビティ
「やりたいこと」「できること」「やらねばいけないこと」の三つの重なった部分をやる。
と向井孝さんはよく言っていた。僕が少年から青年期に世話になり尊敬していたアナキスト詩人。 ドラッカーの will can must について説明しているサイトにという言い方で、経営学者のドラッカーも言ってるらしい。 向井さんがドラッカーから引用していたとは思えないので、えらいひとは皆同じことを考えるのだなあと、感心した。 「エネルギー」と「スペース」と「気づき」の三つが重なったところが意識であるというお話を、プラサードから昔に教えてもらったという話を、ユニティ・インスティテュートのメルマガに書いた。 三つの丸が、それぞれ固有の偏りがあって、例えばエネルギシュだけど、気づきのない人や、気づきが有るけれど、スペースのないひとがいたりする。 それを絵にするとわかりやすいのだが、ドラッカーの will can must について説明しているサイトに色々なケースのカットがあって面白かった。 will だけ大きい=やりたいだけ大きかったり、can =できること が小さかったり、must=やらねばいけないこと が大きすぎるのはしんどい。 以下 mixi 日記より再録2012年08月08日 やらねばいけないことで、やれることを、やりたいように、やる 「実行というのは、負けても負けても負けてしまわない・・それに至る永遠の過程。その時々にやらねばならないことで、自分がやりたいと思って、やれることを、自分の好きなやり方でやる。そしてやる時は、一生懸命やれるギリギリのことを追求する。それを自分の日常活動としてやる」 これは、尊敬するアナキスとの向井考さん言葉。 「非暴力直接行動とは、勝つことを目指さない。ただやられても、やられてしまわないということ。それが非戦ということ。その暴に非ざる力を取り戻す行為のなんでもかんでもの一瞬一瞬が私ら自身の表現であり、発散であり、解放になることをする。」 これはその向井さんのパートナーの風さんの言葉。 その時々にやらねばならないことで、自分がやりたいと思って、やれることを、自分の好きなやり方でやる。そしてやる時は、一生懸命やれるギリギリのことを追求する。というのは人生そのもののようにも思えるし、また運動に少し関わるとこの「やらねばならないこと」が次々と出てくる(というか知ってしまう)のが、しんどくなっていって、胃が痛くなったりする原因だと思う。 しかし、やはり運動だけでなく、人生とはそんなものかな? やらねばならないことなんて、なにひとつないという視点から、やれることを、自分の好きなやり方でやる。そしてやる時は、一生懸命やれるギリギリのことを追求する。では、運動にならないのかな?人生を遊びながら、上滑りしていくだけなのかな? 責任をとるということ。自分の応答できる能力を使っていくこと。発散・解放だけでなく、創造していくこと。 やらねばいけないことで、やれることを、やりたいように、やる やらねばいけないことはなにひとつないのだけれど、やれることを、やりたいようにやる。 この違いについて考えている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.02.09 21:40:56
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