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ザビ神父の証言

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2009.11.21
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カテゴリ:民衆の歴史
デパートの誕生(40)

生地の裁断
冒頭に掲げたのは、昨日記した通信販売用カタログに貼り付ける生地の裁断機です。こうして裁断したものを、さらに店員が小さな四角形に切り分け、カタログに貼り込みました。

さて、注文者の手紙がボン・マルシェに到着すると、先ず開封専門の係りが、次々に開封していきます。次に読み上げの担当者が注文書を読み上げながら、注文商品別に分類して、当該の売り場に回します。売り場は注文書通りに商品を揃え、内容が一致しているかどうかを確認して、梱包係りに回します。梱包後に今度は発送地域別に仕分けされ、やおら発送方面別の駅などに送られるのです(パリでは、方面別に市内にいくつもの鉄道駅に分かれていたからです)。

方面は多方面に渡っていましたが、送料の負担はどうなっていたでしょうか。地域によるのですが、フランス国内とドイツ、イタリア、スイス、オランダ、ベルギーなど近隣諸国は、注文代金が25フラン以上で無料となっていました。その他の国や地域は実費をいただくスタイルでした。

カタログ通販の開始は、地方と外国の需要を掘り起こしました。ヨーロッパ中から顧客が現れるようになったのです。それだけではありません。あまりはっきり見えませんが、下の写真は、ボン・マルシェの通信販売部の作業風景です。奥にオセアニアという看板が見えます。オセアニアからの注文を集める場所を指示したものでしょうから、19世紀末のボン・マルシェには、オーストラリアやニュージーランドからも、注文が届いていたのですね。
通信販売部の作業風景

パリにボン・マルシェありを、万国博覧会を利用してアピールしたプシコー戦略は、見事に花を開いたと言えましょう。新館がオープンした1872年の年間の通販の売り上げは、約500万フランだったのですが、30年後の1902年のそれは、約6,5倍の3,330万フランに拡大しています。これは店全体の売り上げの伸び率、5,5倍を上回っていました。この年、オセアニア方面の売り上げは分かりませんが、アメリカ大陸からの注文は100万フランに達していました。
                                続く





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最終更新日  2009.11.21 17:10:31
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