カテゴリ:民衆の歴史
デパートの誕生(55)
マダム・プシコーの思い切った組織改革で、ボン・マルシェは従業員たちの会社になりました。 そしてボン・マルシェの改革は、資本主義社会の将来に対しても、大きな影響を残しました。ミドルクラス以下の階層を出身母体とする若者の生き方を大幅に変えたのです。 ここまでの社会で、パリの商店の店員となった若者が将来像として描きうる自己の人生は、およそ以下の選択肢の中にありました。 1、実家が地方で商売を営んでいる場合ですが、郷里に戻って実家の後継ぎとなる 2、住み込んだ商店の婿となって、店を引き継ぐ 3、資金を蓄えて独立する 一番成功したと思えるケースが、この三つでした。そしてこのうちの1は、長男または1番年長の男子に限られました。 マダム・プシコーの実施した改革は、ここに新たに努力して取締役になる。さらに努力して社長に上り詰めるという、新たな道を提供したのです。 ボン・マルシェの改革以前、自分自身しか頼るもののない若者が、出世の階段を上るためには、スタンダールが『赤と黒』で展開したように、軍隊(赤の制服)か宗教界(黒の僧衣)で僅かに可能だった細い道を上り詰めるしかありませんでした。コルシカの田舎の名士の子ナポレオンは一躍全ヨーロッパを睥睨する大皇帝になりましたが、彼とて、フランス本土の陸軍士官学校を卒業しているのですから、庶民の出ではなのです。 さらに、どのコースを進むにせよ、高等教育(エリート教育と置き換えても良いでしょう)を受けていることが、最低限度の条件です。ようやく初等教育を受けただけの貧しい若者に、手の届く世界ではなかったのです。 ところが、ボン・マルシェでは、創意と工夫と努力とで売り上げを伸ばしていけば、所得も向上し(歩合給の増加)、その上自らの職階も上がってゆき、最後には社長にまで上り詰めることも、不可能ではなくなったのです。 こうなると、上役や先輩のすることを学びながら、そこに自らの創意を加えつつ、自らの社内的地位の向上を、ボン・マルシェ本体の利益の上昇に結びつける若者が、大量に生み出されます。 こうして、一生を被雇用者として過ごすことを、入社時から覚悟しながら、社内ヒエラルキーを上ることだけを目標とした、新しいタイプの人間が登場してきたのです。後にサラリーマンと呼ばれることになる一群の人々は、こうして登場しました。こうして会社人間が誕生したのです。 ボン・マルシェは、消費者を作り出したことに留まらず、サラリーマンの誕生にも関わっていたことになります。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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