書名
ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた [ 斎藤 幸平 ]
目次
第一章 社会の変化や違和感に向き合う
ウーバーイーツで配達してみた
どうなのテレワーク
京大タテカン文化考
メガヒット、あつ森をやってみた
5人で林業 ワーカーズコープに学ぶ
五輪の陰
男性メイクを考える
何をどう伝える? 子どもの性教育
第二章 気候変動の地球で
電力を考える
世界を救う? 昆虫食
未来の「切り札」? 培養肉
若者が起業 ジビエ業の現場
エコファッションを考える
レッツ! 脱プラ生活
「気候不正義」に異議 若者のスト
第三章 偏見を見直し公正な社会へ
差別にあえぐ外国人労働者たち
ミャンマーのためにできること
釡ケ崎で考える野宿者への差別
今も進行形、水俣病問題
水平社創立100年
石巻で考える持続可能な復興
福島・いわきで自分を見つめる
特別回 アイヌの今 感情に言葉を
学び、変わる 未来のために あとがきに代えて
引用
結果的に、「真の当事者」へと語りを限定していくことが、多くの人にとって「自分には語る資格がない」と声どころか、考える能力さえも奪うことになる。その先に待っているのは、無関心と忘却である。それでは社会問題はまったく改善しない。「自分は当事者ではないから発言をするのを控えよう」というのは、一見するとマイノリティに配慮しているようで、単なるマジョリティの思考放棄である。それは、考えなくて済むマジョリティの甘えであり、特権なのだ。
感想
2023年094冊目
★★★
2023.04.13「
076.人新世の「資本論」 [ 斎藤幸平 ] 」
の著者によるルポ?体験談?元は新聞連載。
象牙の塔から出てフィールドワークで現地の声を聴こう、という企画。
コロナの影響で一部「家であつもり」とか「脱プラ」とか、家で出来るものにもなっているけど、全体的に面白かった。
ひとつひとつのテーマが、掘り下げていくとめちゃくちゃ深いものばかりなので、数ページでさらっと書いてあるところもっと詳しく!となった。
共同体として仕事をする「ワーカーズコープ」は初めて知った。
コミュニティとコミュニケーションが苦手なのでやっていける気がしないけど、憧れる。
管理された「働かされる」ではない働き方。
性教育は本来、人権教育であるということにも目からウロコ。
え?と思ったけど、よく考えたら紛れもなく人権問題だ。
人権というと、肉体より精神性を考えていたけど、どちらもだな。
昆虫食のところでは、コオロギが登場。
牛は1kgの肉を増やすのに、10kgの穀物と2万2,000リットルの水が必要。
一方のコオロギ1kgは、1.7kgの穀物と4リットルの水で済む。
…こうして見ると、肉食をやめて穀物食べてるのが一番いいんじゃね?となる…。
タンパク質が確保されれば、菜食や代替肉(大豆ミート)が一番なの?
でもその加工コストとか色々あるし、大豆だけそんな育てて大丈夫なんか。
お肉大好き!だし、毎日お肉を食べていて、私はそれでいいのかな。
狩猟が、苦しみの少ない肉食文化であるというのも驚き。
銃で撃つほうがよっぽど残酷な気がしていた。
けれど確かに、生まれてから死ぬまで、工業型畜産で管理されているよりは、自然の中で生きて、一瞬だけの苦痛で即死、というほうが残酷ではないのか。
そもそもそれを天秤にかけること自体が傲慢である、とも思う。
脱プラスチックの試みは、現代社会で生きているとほぼ不可能な気がしている。
あれもこれも、みんなプラスチックに覆われている。
著者がプラスチック・フリーの生活を試みるも、何も買えずに困り果て、「みんなあの袋好きすぎではないか。」と愚痴るの分かる。
ちょっと料理をするだけで、大量のプラスチック包装ごみが出る。
洗って、乾かして…これってほんまにエコ?と疑問が生じる。
そもそも使いすぎなんよな。
2021年にドイツでは使い捨てプラスチックが全面的に禁止されたそうだ。
「今までのプラスチックの便利さは、環境にコストを転嫁することで獲得されていた」。
・
海洋プラスチックごみ問題の真実 マイクロプラスチックの実態と未来予測 [ 磯辺篤彦 ]
でも、プラスチック製品を撤廃することにより、「負担は経済的な弱者ほど大きくなる。弱者に負担を強いる地球環境問題の解決など、あっていいわけがないでしょう。」と言っていた。
著者は、「問うだけの側」にいる自分(たち)を自覚する。
そしてそれを忘れることが出来るのであれば、自分たちはマジョリティであるということだ。
真の当事者ではないから口を噤む。部外者であるから。ーーー私には関係ないから。
私は、マジョリティの意識についてのビデオを見た時、驚いたことがある。
絆創膏。
それは、焦げ茶色の肌に巻かれていた。
私(たち)にとっては当たり前の色。目立たないようにするための色。
それが、くっきりと、見えた。
ディズニーの実写「リトル・マーメイド」を見た時、違和感をおぼえた。
それはかすかな不快感のようなものでもあったかもしれない。
なぜ?と画面を見て気付いた。
アリエルが、白人じゃないからだ。
私はそのことにショックを受けた。
自分が、そう感じたことに。
調べていると、ちょうど
2022/09/18 東洋経済オンライン
「実写版リトル・マーメイド」日本人が批判のなぜ 「白人のアリエル」を求めるのは人種差別なのか
(バイエ・マクニール : 作家 )
という記事を見つけた。
面白いのは、「人魚は実在しないし、人間でもないので、彼女の人種は関係ないはずだが」という一文。
高みに立って、遠くにあって、外界の人々を睥睨する。
ともすれば学問はそうなりがちだ。
(この本の表紙がまさにそんな風景だと私は思った)
そこで集積し、集約し、普遍化し、共通化し、世間に問う。
かく在りきは、有や否やと。
けれどそこでうごめく人々、それぞれの活動、絶え間ない人生に目を向け、そこに身を置けば。
問うことは、己を問うことになる。
自分のずるさ。逃げ。恥。口に出せない言葉。隠れているもの。秘めていること。
建前で覆った内側。
この本で、「共事者」という言葉が紹介される。
私達は無関係ではなく、どこかで繋がっている「共事者」なのだと。
気にせずに通り過ぎていくなかで、立ち止まる。
きっとそこで立ち止まった人がいる場所で。
そこから先へ進めない人がいる場所で。
そこから先へは行ってはいけないという人がいる場所で。
己に問う。
かく在りきは、有や否やと。
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