カテゴリ:奈良
東城戸町「旧井田康子邸」のことは紹介しましたが井田(上村)先生の名前は、いろいろなところに残っています。前にも紹介しましたが、佐保短大には、井田康子賞奨学基金を寄付されていますし、東城戸町会所でもある大国主命神社の「拝殿」には、井田先生の寄付を記した棟札が掲げられています。 売却された旧邸とその裏の広い敷地がどうなるのか、まだよく判りませんが、先日、二月堂の横で、井田(上村)先生のお名前の入った石碑を写真に撮りましたので紹介します。(日記の日付は、前回よりかなり開いていますが写真にあわせました。)
場所は、二月堂の北側、お水取りの時にお松明が上がってくる階段を登りきり「北の茶所」へ向かう角のところです。「北の手水場」の右手に、他の寄進石碑などよりひときわ大きなものが三体立っています。 右から(写真から読み取った限りです) 「南無観自在 奉献 一金壱億圓 上村耕作」 「南無観自在」とは、お水取りでおなじみの観音さま(観自在菩薩)に唱える名号ですね。 上村耕作というのは父上でしょうか。 教師としては、大変「堅い」「厳しい」先生で、生徒指導にうるさい「生活部長」として恐れられていた方でしたが、「高村光太郎」研究とともに、「源氏物語」についての研究もされていたように、夫君の死後の歌には人を恋うる想いが溢れているようです。 さて、「井田完二」という方は、三高(現京都大学)の卒業のようで、同窓団体「三高自昭会」の発行になる「神陵文庫」の第五巻に、その名前が見えます。 にしても、先生のお宅がこの後どうなっていくのか、大変気になるところです。聞くところでは、今回購入された会社では、三条通りのもと「都ホテル」のパーキングも購入されたとか。どちらも奈良の町にとって大きな意味のある場所かと思います。 (2015年1月5日石碑写真を再確認して加筆)お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[奈良] カテゴリの最新記事
私(昭和34年生まれ)は、奈良女子大附属高校で井田康子先生に現代国語を学びました。あの頃は、あまり国語が好きではありませんでしたので、先生の教えに深く接することをしませんでしたが、今更ながら後悔しています。私が教えていただいた段階で「おばあちゃん」という感じでしたが、作家に対する熱い思いを語っておられました。合掌
(2011.09.13 20:42:02)
井田完二さんは石川県出身、康子さんは後室で、先妻は内田璋子(41歳で死去)で完二さんとの間に2男1女をもうけていた。 ご遺族の連絡先が知りたい。
(2018.03.09 12:07:33)
J-A@waveさんへ
早速のご返事ありがとうございます。 実は実は井田完二さんは私の義理の伯父に当たります。つまり、完二さんの先妻璋子さんは私のわたくしの父の姉に当たります。完二さんのご遺族は私の従兄にあたるのですが、行先不明で以前より何らかの連絡がとれればと思っている次第です。 (2018.03.09 18:44:51)
watauchiさんへ
私は井田康子様の父君 上村耕作氏と、私の亡き祖父は兄弟にあたります。 私はどうやら最後の上村家の家督になるようで、親族にあたる方の相続について急に連絡があり知る事になりました。 私は現在、京都に在住しています。 (2018.09.09 02:17:17)
watauchiさんへ
戸籍からは井田康子様には2人の兄とお姉さんがいたようです。原戸籍から先は取得していないので分からないですが、近い血縁になるので戸籍を辿れば何か手がかりはあるかも知れません。 (2018.09.09 02:32:01)
上村家さんへ
しばらくコメント欄をチェックしておりませんでしたので、上村さんのコメントに気が付きませず、失礼いたしました。 相続の関連から私のコメントにたどり着かれたようですが、相続は私には関係ないと思いますが、井田完二、康子さんのお子さん(確かミチ子さん、たけしさん、ほか男の子)についてご存知でしたら、下記のメイルアドレスに連絡いただければと思います。 k_uchida@ballade.plala.or.jp (2018.09.17 16:11:25)
上村さんへ
先に井田完二のお子さん(私の従兄になりますが)の名前をミチ子他と連絡しましたが、伯父のメモから紀子、武、朗であることが確認されましたので修正いたします。 watauchiより (2021.02.02 20:52:24) |
|