昭和の豪華結婚式
昭和の、コネの中で育ちました。コンプライアンスなんて、なかった時代。楽しかったですよ。結婚式は、お色直し五回、全て新品特注、カツラも、頭の寸法を、測って、京都で、創ってもらった父の友人の結婚式場で、挙げたので、衣装は全て、特注新品。そのあと、式場の、レンタルに回した。お化粧は、当時、白塗り仮面でしたね(笑)婿養子なのに、名古屋の嫁入りで、家から菓子を撒いて、でました。白無垢は、挙式用だから、家から出る時は、文金高島田でないといけないそうで。茶川一郎さんが、先導してくれた。朝一でいらっしゃって、すぐ新幹線で、仕事のため東京へ帰られた。衣装替えは五回。白むくの綿帽子、これが本物です。のしイカみたいな、あの、のっぺりはだめ❌支度は朝6時から、家で。プロのカメラマンが、その様子を8ミリで納めてくれました。結婚式場は、当然貸し切り。民社党党首の塚本三郎さんが、主賓でした。要人参加なので、SP警護。両翼の話を賜りました。余談ですが、私のすし屋には、ビジネス任侠の、幹部の方も、いらしていたので、その時に着く、警護も、SPみたいでした(笑)来賓は、熱田区選出の県会議員、父の友人、榊原きよしさん。仲人は、熱田区高額所得者ナンバーワンのHさん。披露宴は、13時〜21時(笑)食事も特注。うちから、すし職人たちが、烏帽子姿をして、会場で、高級寿司ネタも、にぎりました。添えられた葉らんは、一か月前から、うちの職人たちが、準備をした、鶴亀の飾り切りでした。司会は、父の友人の青空うれしさん。席入は、長持歌。余興は、相撲甚句と、和妻。結婚式場の衣装係の豊浜のママには、本当にお世話になりました。全ての衣装段取りは、ママが、すべてしてくれました。ものを見る目が、一流で、最高の支度をしてあげる、と、おっしゃってくださった。ママは、私の名古屋場所のお席に、場所中、三回ほど着物姿で、幾年か、座られましたが、もう、歳だからと、50歳くらいで、座られるのを、やめられました。潔い人でした。父、50歳、全盛期の時で、まるで自分のお披露目のようでした帝国ホテルセミスイート宿泊も、父の友人の、貴乃花後援会会長にプレゼントしてもらいました新婚旅行は、ニューカレドニアとオーストラリア新居は、父の友人が建てた新築マンション最上階11階東角部屋を、建つ前から購入。父は、何もかも、私に与えて、三年後、病に倒れ、一年半の闘病後、旅立ちました。二年で、ゴルフハンディ11になった、父でした。#昭和#結婚式#吉祥研究会