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カテゴリ:時事問題
皇族の婚約内定者として知られている方についての報道が過熱している。
婚約内定という表現も変なのだが、ほとんどバッシング一色のような報道も変だ。 「定職がない」とか「将来が定まっていない」ということがいわれ、「普通の家庭でもこういうのは断る」とまでいう人もいる。けれども、これも報道を見る限りなのだが、彼は無職でも失業者でもない。法律事務所で語学を活かした仕事をしているようだが、それってそんなに悪い仕事なのだろうか。国際業務を行う法律事務所では外国語に通じた人材も必要であり、それはそれで立派な職業のように思う。法律事務所勤務というだけで、司法試験受験生のアルバイトのようにとらえるのは、パラリーガルという職業についている人に対して失礼ではないか。 彼については、職業だけではなく、母親の借金についても批判的に報道されている。けれども、女性と付き合っていた男性が、女性に金を渡していたとしたら、それは普通に考えれば贈与ではないか。道義的に返すべきだというのも一理あるようだが、付き合っていた女性に、別れた後に、あのときやった金を返せといい、それを自分の身元は明かさないまま、マスコミに出すというのも、道義に反するのではないか。 そしてさらに父親の自殺や母親の経歴、出身校までが批判的に報じられている。最も疑問を感じているのはこの点である。今のところ彼は婚約が内定しているだけの一般人である。こんなことまで批判的に報じる必要はないのではないか。どっちにしても、これは本人の選択外のことである。 最後に、婚約の行方についてはいろいろな見方があるが、良家の娘、それも究極の良家の娘について交際が公になれば、それはよほどのことでもないかぎり、婚約、そして結婚という方向しかないのではないように思う。このあたり偏見かもしれないが、男性と女性ではやはり違う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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アキヒトから、ナルヒトへの「代替わり」を、マスコミは、大騒ぎして「忠義踊り」を繰り返した。
天皇制そのものが、民主主義とは、本来、相容れないモノであるが、オピニオンリーダーたるべき言論世界で、このような時代錯誤的な翼賛報道が横行し、歪んだ風潮を批判するどころか、迎合して反省の無い現状には、ほとほと、あきれてしまった。 本当に騒いでいるのは、(真の国家主義者)たちの、ごく一部だが、それに便乗した翼賛報道が、一見、全国を席巻しているかのように見えるが・・・恐ろしいのは、これが、「令和時代の標準」として、作り変えられることだろう。 言うべきことを、しっかりと言えていない・・・・というリベラルたちの委縮と停滞が止まらないように見えるのは・・・僕だけか? 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 天皇代替わりに敬語使用を考える 「菊タブー」を減らしていくために 2019-5-23 石丸次郎(アジアプレス大阪事務所代表) 昭和が終わって30年が過ぎた今、新しい天皇とその家族を、メディアはいったいどのように扱い、表現するだろうか。平成から令和への天皇代替わりの節目に、新聞の報道の仕方に私は目を凝らした。 新聞各紙を読み比べた。主要紙は全紙がこれまで通り皇族に「さま」を付けた。「さん」ではだめなのか? 新旧の天皇が退位と即位にあたって読み上げた文章を、毎日と朝日は括弧付きの「おことば」とし、読売と産経は括弧なしでお言葉と書いた。 「メッセージ」や「声明」で良いのではないか? 私は、報道記事の中では、あらゆる人物に対し敬語を使うべきでないと考えている。報道というのは客観性、平等性が命だ。上から見下ろす、下から見上げる、そのどちらの立ち位置も報道にふさわしくない。 学術論文で歴史上の人物や皇族に敬語を使わないのと同様に、報道も、家系や身分、地位によって扱いを変えるべきではないはずだ。記者やテレビディレクター個人が、天皇制や皇族にどのような思いを持つかは自由。しかし、それと記事中の敬語使用は別の問題である。 代替わりに際し、全国紙もテレビも敬語で溢れた。一方、毎日の新天皇即位の日の別刷りでは、経歴を紹介する記事で、「ピアノやバイオリンを幼いころから習い、大学のオーケストラではビオラを演奏した」などとして、本文では敬語の使用をかなり控えていた。朝日も別刷りでは控えめだった。 天皇家を仰ぎ見る存在として扱わず、平準にしていこうという、ジャーナリズムとしての試みがあったのだろうと感じた。 ■反日攻撃が「菊タブー」を作った 1947年に不敬罪が廃され、新憲法下で制度として言論の自由が保障されているのに、わが国には、いまだ「菊タブー」、つまり天皇制を自由に表現できない現実がある。反日というレッテルを張っての攻撃、脅しが言論機関を震え上がらせてきたのだ。 天皇や皇族の扱い方を巡っては、記事や小説、映画、政治家の発言が度々攻撃にさらされ、時に殺傷事件まで発生した。関西では、32年前の5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃される事件が起こった。「反日分子の処刑」を訴える「赤報隊」に猟銃で撃たれ、小尻知博記者が殺害された。 報道に対する卑劣なテロなのだが、この「赤報隊」の人殺しを、正面から「義挙」だと肯定する街宣が、数年前から、5月3日に合わせて関西と東京で行われるようになった。まだ勢力は小さいが、自由な言論活動への、新たであからさまな挑戦が始まったようで、胸騒ぎが収まらない。 新しい「菊タブー」を作らせてはいけない。いや、減らしていかなければいけない。そのためには、日頃の表現によって自由にものが言えるスペースを広げていくことが大切だ。 代が替わった天皇への敬語使用のありようを見て、そう考えた。 (2019年05月24日 02時20分20秒)
h1212jpさんへ
(タメなので挨拶抜きの無礼講で言わしてもらうとな?) 以前も述べたがあんたの場合は礼儀を知ることから勉強が必要。 あんたの現在の器からの思考では自由な表現をするために礼儀は不要と考えているようだが、それは違うぞ? 「礼節」と言うことを知っているかな? 天皇陛下はあんたの友達でも兄弟でもないので同列で考えないこと。 あんたが何を思い何を語るかは自由だが節度を忘れないように表現することもできるだろう? 礼儀を知らぬ者は社会でも通用しないし「恥かしい奴、日本の恥」と周囲から疎んじられる場合もあるだろうから気をつけた方がいいぞ? あんたが何を述べても基礎ができていない人間の言葉には説得力もないし、 それこそ、あんた自身で言う処の「反日」野郎ってことで誤解を受けることになるからご忠告しとく。 国際社会なら尚更で所謂礼儀知らずは「日本の恥」だから。 敬称をつけても言いたいことは表現できるし、まして友人でも兄弟でもない天皇陛下を意識して呼び捨てこそが差別だから。 あんた自身を育ててくれる者に感謝と礼儀は誰に対してもな? (あんたに欠けている物は天皇陛下が実践しているから手本にできるぞ?) (2019年05月24日 17時14分21秒)
h1212jpさんへ
まあ私は「さま」でなくて「さん」でもいいと思うし、 「おことば」ではなく「メッセージ」でもいいと思います。 で誰に対しても敬語を使わないというのならそれも別にいいんじゃないですか? >報道というのは客観性、平等性が命だ。上から見下ろす、下から見上げる、そのどちらの立ち位置も報道にふさわしくない。 その通りですね、で、あなたは誰に対してもカタカナ呼び捨てなんですか? そうじゃあないですよね、 ということはあなたのその意見は客観性も平等性もない上から見下ろすような立ち位置の偏った意見ということになりますがそれでよろしいですか? (2019年05月24日 23時21分14秒)
h1212jp さんへ
ネットでお茶を飲みながらは無礼講とは言わんか。 よかったな? 酒の席なら足蹴りかビール瓶が飛んでいるかもしれんぞ? 気をつけろや?ボケ! (2019年05月25日 00時31分53秒)
h1212jpさんへ
あ~それとですね・・・ >天皇制そのものが、民主主義とは、本来、相容れないモノであるが、 これもおかしな話でしてね、立憲君主制というのは民主主義の一形態ですので 君主制と民主主義は相いれにものではないですのでこれは明らかに間違いです。 というかこの程度は小学生の社会科レベルの話かと思いますが。。。。 これを否定するとイギリスやデンマーク、ノルウェー、スペインなどなどかなり多くの国々の民主主義を否定することになるんですが理解してますか? (2019年05月25日 00時48分00秒)
ヒロヒトの多くの不幸を生み出した(戦争責任)が、不問にされて、結局、その生涯を無事?!終えてしまったのは、1963年1月だったか・・・
戦争罹災者たちにとっては、許せない事実だったが、連合軍司令部(GHQ)の、戦後統治(天皇を利用して)の方針に、救われたのだった。 本来、餓死した多くの国民・兵隊たちにとっては、ヒロヒトは、(八つ裂きにしてやりたい)恨み骨髄の存在だったハズだ。 歴史は・・・(悪い奴が生き残る)・・・これが、現実だ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 「天皇陛下、万歳」で、始まった集団自決。母の命を奪い号泣 2019-4-27 伊藤宏樹・遠野郷 朝日新聞 沖縄は67年前の4月28日、日本から切り離され、米国施政下に置かれた。その記憶は今も「天皇」と分かちがたくある。 まもなく代替わりする天皇は「基地の島」となった沖縄の歴史とどう向き合っていくのか。沖縄は、問いかけ続ける。(伊藤宏樹、上遠野郷) 4月中旬、那覇市内のマンションで、沖縄キリスト教短大名誉教授の金城(きんじょう)重明さん(90)は穏やかに笑った。「令和、いいんじゃないでしょうか。響きが柔らかくて」 那覇市の西30キロに浮かび、太平洋戦争末期の沖縄戦で米軍が上陸した渡嘉敷島の出身。戦争体験を語り継いできた。「昔は、ひじをついて『天皇』なんて言えば、ビンタされました」。時代は変わった、と繰り返した。 「天皇陛下は神様だと、本当に信じていたんです」 琉球王国から「沖縄県」として日本に組み入れられたのは140年前。民間では日本の元号「明治」ではなく、清の「光緒」がしばらく使われた。 中央から派遣された官僚たちは、沖縄の伝統や文化を「前時代的」と否定し、皇民化教育が次第に強化された。昭和になると標準語の使用も徹底され、学校でウチナーグチ(沖縄の言葉)を話すと、首に「方言札」をかけられた。 渡嘉敷島も例外ではなかった。「かなぐすく」だった姓の読みは、学校では「かなしろ」に変えられた。皇居の方角に向かって90度以上頭を下げる「宮城遥拝(きゅうじょうようはい)」は日課だった。 「敵は鬼畜米英。捕まれば残虐な方法で殺される。天皇のために玉砕するのが当然だと思っていました」 だから、あの悲惨な「集団自決」が起きた。 1945年3月、米軍が上陸すると、島民は山中に追い詰められた。砲弾が近くで爆発し、米兵が迫ってくる。 極限の恐怖の中、村長が「天皇陛下、万歳」と叫んだのが合図となった。大人たちが、手投げ弾や鎌、木の枝、石で家族を殺し始めた。16歳だった金城さんも、9歳の妹、6歳の弟、そして母を手にかけた。あまりの苦しさに号泣した。以後の記憶は途切れがちだ。 戦後、自らの手で家族の命を奪った事実が重くのしかかった。キリスト教に出会い、没入していく。「キリストが私の荷物を少し軽くしてくれました」。でも、背負った十字架は消えない。 「命を捨てて天皇の盾となることを国民に強いた。国家の罪です」 姓は戦後、さらに「きんじょう」に変わった。今も沖縄の言葉を話すのは苦手だという。「方言札を一度もかけられたことがない『優等生』でしたからね」 字数制限のため、以下を参照のこと・・・・ ―――――――――――――――――――――――――――― はんぺん - 楽天ブログ - 楽天市場 「天皇陛下、万歳」で、始まった集団自決。母の命を奪い号泣 2019-4-27 伊藤宏樹・遠野郷 朝日新聞 https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/ (2019年05月25日 02時09分37秒)
h1212jpさんへ
私はあなたのブログの方もたま~にではありますが読んでいるので、あなたの考えが全てにおいて間違ってるとは思ってないし、 中にはなるほどと同意できることも少なくない、 が事この件に関してのあなたの意見は偏ってると言わざるを得ない。 残念ながら矛盾が多い。 あなたが昭和天皇が個人的に嫌いだこれはよくわかりましたしそれは個々人の考えだからそれを批判するものではないが あなたの言ってることは親が八つ裂きにしたいくらい憎いのだが親はもう死んでしまったから代わりに子を八つ裂きにしようという意見です。 まあ主張自体は自由ですがこの方向性では大衆の多くの支持は集まりませんよ。 >わが国には、いまだ「菊タブー」、つまり天皇制を自由に表現できない現実がある。反日というレッテルを張っての攻撃、脅しが言論機関を震え上がらせてきたのだ。 まあそういう極右、尊王主義者がいないとは言いませんし実際抗議もあると思いますよ、震え上がるっていうよりも煩わしいし面倒くさいのでそういう層を刺激しないようにしてきたってのはあると思いますよ。 それと天皇制を自由に表現できないのはあなたのような人がいるからでもあるんですよ、天皇制を少しでも擁護すると反天思想から論理性のない批判を展開する、そっちもそっちで煩わしいんですよ、 なので極力どっちも刺激しないように触れないようにするそれが「菊タブー」です、右も左も論理性のない感情論を展開するから鬱陶しいんですよ、だから触れないようにする、 尊王論者の責任だけじゃあない反天論者の責任でもある。 あえて言えば私は天皇なんてものはその血統が貴重だから保護されてる天然記念物のようなもの、朱鷺と同格と思ってますよ。 別にそれを論理的に批判することをタブー視してませんよ、あなたの意見は論理性に欠けているから批判してるだけです。 >この意見に、僕は、少し違和感もあるが、この民主主義社会では、異物としての王制(天皇制も含めた封建的遺物)は、本来、原則として相容れないという点では、間違いなく正しい。 ある意味において正しいが間違えてもいますね、それは前時代的「絶対王政」であって今の立憲君主制ではない、なので君主の権力が憲法により規制され君主は飾り、象徴に成り下がったのですよ。 こういう形態を立憲君主制と言いそれは民主主義国家の一形態です、なので「王がいるから民主主義社会じゃない」これは明確に誤りです。 (2019年05月25日 06時40分30秒)
いろんな意見があって良い。発信できる自由があるのは、北朝鮮や中国などの全体主義国、共産主義国とは、決定的に違う。
かの国では、反対意見は、拘束、抑圧の対象となる。自由、人権は、権力者の言いなりになり、個人の人生は、大きな制約を受ける。強制収容所・拷問・公開銃殺は、歴史的に厳然たる事実として、認定され、大いなる非難を受けてきた。 この意見に、僕は、少し違和感もあるが、この民主主義社会では、異物としての王制(天皇制も含めた封建的遺物)は、本来、原則として相容れないという点では、間違いなく正しい。 この王制を利用するのは、歴史を総括して明らかなように、権力者(今の時代は、安倍政権だろう)と彼らに洗脳され、浮かれ切った国民たちだ。 皇室バンザイキャンペーンで、扇動され、洗脳され、バカ騒ぎに飲み込まれた、不幸な国民たち。 歴史を冷静に学べば、これぐらいのことは、本来、誰でもわかる。 (前掲したが)再記するが、注目しておかねばならないのは、次の文書である。 ⦅1947年に不敬罪が廃され、新憲法下で制度として言論の自由が保障されているのに、わが国には、いまだ「菊タブー」、つまり天皇制を自由に表現できない現実がある。反日というレッテルを張っての攻撃、脅しが言論機関を震え上がらせてきたのだ。 天皇や皇族の扱い方を巡っては、記事や小説、映画、政治家の発言が度々攻撃にさらされ、時に殺傷事件まで発生した。関西では、32年前の5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃される事件が起こった。「反日分子の処刑」を訴える「赤報隊」に猟銃で撃たれ、小尻知博記者が殺害された。⦆(石丸次郎氏) 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 「感情」で社会築けぬ。 新刊で「天皇制の断念」を主張 2019-5-18 大塚英志(批評家) 東京新聞 天皇制を断念しよう-。批評家の大塚英志(えいじ)さん(60)は、4月に刊行した『感情天皇論』(ちくま新書)で、そんな主張をした。「天皇制はわれわれが公共性をつくることを妨げている」。日本で民主主義を機能させるために、導き出した結論だという。 「近代より前の庶民は村の中で人生を終えることができた。誰かとすれ違ったら、あの人は誰ってすぐに分かる」。そんな暮らしは明治以降に一変した。「村から東京にやってきたら、隣の人が何を考えているかも分からない。そういう状態から、社会はどうあるべきかという公共性をつくらなければいけなかった」 社会を築くためには言葉を闘わせ、ともに暮らせる条件をさぐる必要がある。「それが『みんなが天皇を好きだから』でおしまいになった」。戦前・戦中には「天皇」という言葉によって、国民は不合理な政策も受け入れるようになる。 新憲法のもとでも、公共性をつくる難しさは変わらない-と考える。憲法第一条は天皇の地位について「主権の存する日本国民の総意に基く」と定める。「その総意を示す手続きがないのに、天皇は公共性を表していることになっている」 大塚さんは2000年代に入る頃まで、天皇制を認める立場をとってきた。「天皇は権威として権力の暴走を抑止する機能があるかなと思っていた」。考えを変えたのは、イラク戦争が起きた2003年のとき。フセイン政権が大量破壊兵器を保有しているかどうかあいまいなまま、日本政府はイラクへの自衛隊派遣を決めた。「一つの主権国家を滅ぼすことが、言葉による合理性ではなく、感情で是とされてしまった」。社会の右傾化が言われ始めた時期とも重なり、「これは公共性をつくれなかったからなんだなって」。 『感情天皇論』は日本の民主主義の難点として天皇制とともに社会の「感情化」を挙げる。「気持ちと気持ちが通じればいいみたいなコミュニケーションが広がった」。感情に共感しあうことは議論で合意することとは違う。共感できない「他者」を社会から排除することにつながるからだ。 字数制限のため、以下参照 https://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/doyou/CK2019051802000291.html (2019年05月25日 15時23分08秒)
h1212jpさんへ
◎あんた精神疾患でも? 汚く同じ文章を幾度もベタベタ貼るな? 共産党に洗脳されたコピペ専門の反日常習者って処か? ◎すでにあんたの回答に他の人がコメントしてある。 あんたの偏った小学生レベルのコピペに矛盾があるから読んで学習したらどうだ? あんたが小学生レベルの知性だと論破されていますわ。 (あ~ 認めたくないので無視しているのか?) ◎戦争責任論は肯定派もあれば否定派もある。 しかしな? ※当時、国民が昭和天皇の御心を汲んで「おいたわしい」と責めていないのだわ。 今更、女の腐ったみたいに引っ張り出して印象操作しても無駄。 ◎それと 戦争はどちらかが勝ってどちらか敗れるのであって、その結果が力不足の日本の敗戦というだけ。 つまり、勝っていれば誰も文句は言うまい? ※敗れた時だけ天皇が悪いでは虫がいいと思わんか? 女々しいと思わんか? 戦争の悲惨さを利用して天皇責任論を蒸し返して平和を乱す馬鹿はやめておけ。 ------------------------------------ ◎天皇と国王の違いを簡潔に教えてやるわ。 【天皇】世界(安定的平和)を見ている。 【国王】自国を見ている。 昭和天皇が自国のことだけしか考えないような国王級レベルなら戦争に巻き込まれはしなかっただろうな? 日本人は自己を犠牲にして他人を思い遣ることができると言われているから。 バックミラーばかり見て自分が痛くも痒くもない話を利用して皇室制度の批難ばかりのあんたとの雲泥の違いだ、わかるか? 女の腐ったようなのは気持ちが悪いぞ? (2019年05月25日 17時30分26秒)
h1212jpさんへ
困ったな私は反天でも尊王でもないんだが。。。 まず一つ、あなたがそう考えるそれは自由、それを主張することも自由、 で、上のようにそれに反発する考え、主張が出てくるこれも自由、反論を主張するこれも自由 その上で書いていきますね。 まず私はですけれど反天でも尊王でもないけれど思考としてはどちらかというと反天に近い。 なんだかんだ言って昭和天皇に戦争責任はあったと思いますよ、まあこれは人それぞれの考えですね。 で、じゃあ昭和天皇の戦争責任手なんなのさ、 私はですよ、勝てない戦争をしたこと、それによって多くの国民を死傷させ、国を疲弊させたことに尽きると思いますよ。 まあ天皇一人の責任かというとそうじゃないと思いますが、引き際を見失い国力差も見極めずにアメリカと戦争をしちゃったことですね、 まあ大きな国力差のある大国ロシアに勝っちゃったので、国民にも指導者にも驕りがあったのだろうとはおもいますね。 侵略戦争をした罪とか残虐行為をした罪とか言うのはそりゃ日本に限ったことじゃないよね、 じゃあ当時列強各国が支配してた植民地って何なのさ、当時はそうやって弱い者を虐げ侵略し支配することが事実上許されてた時代時じゃないですか、 日本がやったことが侵略だったのかどうかここもまあいろんな考えがありますわ、まあでも私は侵略だったと思ってる。 残虐行為ってのもあるけれど、じゃあ戦勝国は残虐なことをしなかったのかっていうとそんなこともないようですね、 まあ日本だけが得に残虐な行為をしたってこともないと思いますが、仮にそうだとしたって50歩100歩ですよ、戦争なんてそんなもの、残虐で非道なものなんですよ。 日本は負けたから裁かれただけ、こんなのは勝者が敗者を裁く制裁にすぎない、それを認めるんならですよ、 そんな正義は勝ちさえすればどんな残虐な行為も許される、非道な行為も許される、侵略戦争だって許される、力こそすべての正義ですよ、 戦争なんてものは双方が双方の自分勝手な正義を振りかざして戦うもので、どっちかが一方的に正しい、どっちかが一方的に間違ってるなんてことはないですよ。 ちゅうことで私は天皇には国民に対する敗戦の責任のみ残ると思うのですがね、ならそれを裁くのって国民なんですよね。 で戦後まあこれは勝者が敗者を裁いた制裁にすぎないが東京裁判でも天皇は裁かれなかったわけです、まあこれは多分に政治色が強い戦後の日本を統治する上においてその方が都合が良かったからなんでしょうが、 で、じゃあ国民としてその時に天皇の敗戦の責任を問うってことが出来なかったのかっていうとそんなこともない、 一応形式として戦後民主的な選挙によって制定された国会によって日本国憲法が制定され、そこで天皇の退位も検討されなかったわけじゃあない、ただそれも一応形式として多数の国民の意思をもって天皇は天皇の地位にとどまり象徴天皇制が始まったわけですよ。 天皇に敗戦の責任を問うならこの時ですね、今更それを彼の孫や子に問うたところでどうなるものでもないし、 だからそんな天皇制はって話につなげるなら、だからその時に天皇は象徴へと変わったわけですよ今更ですね。 (2019年05月26日 09時27分11秒)
h1212jpさんへ
で、何であなたのそういう主張は大衆に受け入れられないかともうかというとですね。 反発を招きやすい主張だからです、言ってることが矛盾だらけなんですよ、血統がどうたらいってるわりに、親の罪を子や孫に問おうとする、こんなの血脈主義の最たるものですよ。 平等な視線がどうたらいってるくせに、自分はちっとも平等な視線で物を語ってない、明らかに天皇が憎いって感情が文章に滲み出てるんですよ、 カタカナ呼び捨てがまさにそれ、そんなイデオロギーに支配された論理性、平等性に欠けた視点の理論を大衆は受け入れない。 あなたのブログを拝見するにあなたはもっと論理的な思考の組み立てができると思いますよ、というかできないと思えばこういう書き方しませんから・・・、一方的に見下し馬鹿にするだけです。 だからひとつづつ論拠をもって、これこれこういう事例、こういう経緯、こういう法律・判例があるから、これこれこういう問題点があるから、だからこうすべきだってのがなきゃ誰も支持しませんて。。。 感情論で言ってもですよ、昭和天皇は今更だから置いておくとして、まあ天皇制を支持してるわけじゃあないけれど、今の上皇や天皇を好意的に思っている人、 別に特別好意は持ってないけれど悪感情も持ってない人、まあこういう人が大多数なわけですよ、そういう人たちがですよ、そういうカタカナ呼び捨ての偏ったイデオロギーの主張に触れるとですね、 不快感を持つんですよ、本来その人たちは中立、尊王でも反天でもないわけなんであなたの意見に賛意を示してくれる可能性だってあったわけです、 それをですよ、自ら嫌われることで相手の思考を逆方向に追いやってる、これで支持なんか集まるわけがない、 結局のところそういう主張はですね、最初から天皇制に反対で天皇が嫌いな人にしか受け入れられない、本来取り込むべき層を敵に回して支持が広がるわけないじゃないですか。 同意を得たい、支持を広げたいならですよ、まあ個人的な増悪といった感情をいったん抑えてですね、論理的でせめて中立層の反感を招かない書き方をしなきゃダメでしょ、 そういう面においてですね、あなたの書き方は反発を受けやすい、支持が広がりにくい書き方なんですよ。 どう思われるかも何も今の主張じゃ「馬鹿か?」で終わっちゃうでしょうよ・・・・ もっと自分の頭の中で論点を整理して、どう書いたら伝わるのか考えて、それから書きましょうね。 分かる? (2019年05月26日 09時28分07秒)
天皇制の評価は、戦後リベラルたちの知性が試されている・・・と僕は思っている。以下僕のブログから・・・
――――――――――――――――――――――――――― 「戦争の悲劇」であるが、「かわいそう」とか、「気の毒だ」などとは、思わないでほしい。そのことで、「悲劇」は、無くならないから・・・ この地球上にまたがる、壮大な悲劇の責任者を、許さない・・・そういう決意が求められている・・・その中で、「繰り返してはならない」と、初めて言うことができる・・・僕は、そう思う。 戦争体験の語り伝えは、とても大切だし、ぼくも大事にしてきたつもりだ。多くの資料も、手元にある。しかし、何度も言ってきたが、(一億総ざんげ)などと言って、戦争責任をあいまいにしてはならない。戦争を繰り返さないためにも、責任追及は、残された我々の最低の義務ではないか・・・と思う。 前にこう書いた・・・・ 強がりを言う大本営の参謀達を押さえつけ(=時間稼ぎせず)、半年前(昭和20年2月迄)に降伏していれば、フィリピン、硫黄島、沖縄で、50万の兵士は助かり、悲惨な世界戦史上な尤も愚劣な特攻(死者約1万人)もせずに済み、本土爆撃(死者20万人)、原爆投下(死者10万人)、ソ連参戦による満州、朝鮮、樺太、千島列島の占領(ソ連軍に抑留後の死者約8万人)も受けずに済んだ。 つまり日本は半年早く負けて(降伏して)いたら約100万人ちかくの国民は助かったはずである。 天皇の「戦争責任」は、果てしなく大きいのだ。ヒトラーやムッソリーニと同じで、超一級戦犯であることは、間違いない。多くの悲劇を招いた昭和天皇(ヒロヒト)は、本来、絞首刑を免れることは、あり得なかった・・・ ところが、戦後、占領軍マッカーサーは、日本の占領統治に天皇制を利用した。そのおかげで、超一級戦犯のヒロヒトは、絞首刑を免れたのだ。 (正義)は、貫徹されなかった。これが、歴史というモノか・・・ 多くの餓死、戦病死した兵隊たち、空襲などで殺された民衆の(恨み節)が、聞こえてくる・・・と思うのは、僕だけだろうか? 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ------------------------------------------------ 家族と生き別れ北朝鮮で暮らす「残留日本人女性」。その哀しき人生 2019-4-21 現代ビジネス (前略) 家族とはぐれて北朝鮮に残留・・・ 私は中国、フィリピン、サハリンの「残留日本人」を取材したことがある。アジア太平洋戦争が終焉した時、海外にいた日本人は660万人以上。日本から移住した民間人と戦場や植民地へ送り込まれた将兵だ。その多くは、戦後すぐに帰国を余儀なくされた。ところが、さまざまな経緯で残留した日本人がいる。 日本が植民地統治をしていた朝鮮半島の日本人は、もっとも多い時には約75万3000人。日本の支配が終わると、朝鮮半島は北緯38度線で南北に分断される。南側を統治した米国は、日本人の強制的な早期引き揚げを指示し、日本への積極的な輸送活動を行なった。 一方、北側を統治したソ連は、1946年12月に最初の引き揚げ船を出すまで日本人を留め置いたのである。もっともこの時点で、捕虜となっていた将兵は約2万2000人が残っていたものの、民間人は約8000人しかいなった。97%の人たちは決死の覚悟で38度線を突破し、南側を経由して帰国していた。 ソ連統治下でのこの引き揚げ事業は、1948年9月9日の朝鮮民主主義人民共和国建国の直前の 7月で終了。朝鮮人と結婚していた女性しか、北朝鮮に日本人はいないはずだった。ところが実際には、日本人たちが残留していたのである。1951年の外務省「引揚白書」は、生存者数3303人としている。 字数制限により、下記参照・・・・ https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201905080002/ (2019年05月26日 11時51分48秒)
天皇制の評価は、戦後リベラルたちの知性が試されている・・・と僕は思っている。以下僕のブログから・・・
――――――――――――――――――――――――――― 「戦争の悲劇」であるが、「かわいそう」とか、「気の毒だ」などとは、思わないでほしい。そのことで、「悲劇」は、無くならないから・・・ この地球上にまたがる、壮大な悲劇の責任者を、許さない・・・そういう決意が求められている・・・その中で、「繰り返してはならない」と、初めて言うことができる・・・僕は、そう思う。 戦争体験の語り伝えは、とても大切だし、ぼくも大事にしてきたつもりだ。多くの資料も、手元にある。しかし、何度も言ってきたが、(一億総ざんげ)などと言って、戦争責任をあいまいにしてはならない。戦争を繰り返さないためにも、責任追及は、残された我々の最低の義務ではないか・・・と思う。 前にこう書いた・・・・ 強がりを言う大本営の参謀達を押さえつけ(=時間稼ぎせず)、半年前(昭和20年2月迄)に降伏していれば、フィリピン、硫黄島、沖縄で、50万の兵士は助かり、悲惨な世界戦史上な尤も愚劣な特攻(死者約1万人)もせずに済み、本土爆撃(死者20万人)、原爆投下(死者10万人)、ソ連参戦による満州、朝鮮、樺太、千島列島の占領(ソ連軍に抑留後の死者約8万人)も受けずに済んだ。 つまり日本は半年早く負けて(降伏して)いたら約100万人ちかくの国民は助かったはずである。 天皇の「戦争責任」は、果てしなく大きいのだ。ヒトラーやムッソリーニと同じで、超一級戦犯であることは、間違いない。多くの悲劇を招いた昭和天皇(ヒロヒト)は、本来、絞首刑を免れることは、あり得なかった・・・ ところが、戦後、占領軍マッカーサーは、日本の占領統治に天皇制を利用した。そのおかげで、超一級戦犯のヒロヒトは、絞首刑を免れたのだ。 (正義)は、貫徹されなかった。これが、歴史というモノか・・・ 多くの餓死、戦病死した兵隊たち、空襲などで殺された民衆の(恨み節)が、聞こえてくる・・・と思うのは、僕だけだろうか? 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ------------------------------------------------ 家族と生き別れ北朝鮮で暮らす「残留日本人女性」。その哀しき人生 2019-4-21 現代ビジネス (前略) 家族とはぐれて北朝鮮に残留・・・ 私は中国、フィリピン、サハリンの「残留日本人」を取材したことがある。アジア太平洋戦争が終焉した時、海外にいた日本人は660万人以上。日本から移住した民間人と戦場や植民地へ送り込まれた将兵だ。その多くは、戦後すぐに帰国を余儀なくされた。ところが、さまざまな経緯で残留した日本人がいる。 日本が植民地統治をしていた朝鮮半島の日本人は、もっとも多い時には約75万3000人。日本の支配が終わると、朝鮮半島は北緯38度線で南北に分断される。南側を統治した米国は、日本人の強制的な早期引き揚げを指示し、日本への積極的な輸送活動を行なった。 一方、北側を統治したソ連は、1946年12月に最初の引き揚げ船を出すまで日本人を留め置いたのである。もっともこの時点で、捕虜となっていた将兵は約2万2000人が残っていたものの、民間人は約8000人しかいなった。97%の人たちは決死の覚悟で38度線を突破し、南側を経由して帰国していた。 ソ連統治下でのこの引き揚げ事業は、1948年9月9日の朝鮮民主主義人民共和国建国の直前の 7月で終了。朝鮮人と結婚していた女性しか、北朝鮮に日本人はいないはずだった。ところが実際には、日本人たちが残留していたのである。1951年の外務省「引揚白書」は、生存者数3303人としている。 字数制限により、下記参照・・・・ https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201905080002/ (2019年05月26日 11時52分24秒)
天皇制の評価は、戦後リベラルたちの知性が試されている・・・と僕は思っている。以下僕のブログから・・・
――――――――――――――――――――――――――― 「戦争の悲劇」であるが、「かわいそう」とか、「気の毒だ」などとは、思わないでほしい。そのことで、「悲劇」は、無くならないから・・・ この地球上にまたがる、壮大な悲劇の責任者を、許さない・・・そういう決意が求められている・・・その中で、「繰り返してはならない」と、初めて言うことができる・・・僕は、そう思う。 戦争体験の語り伝えは、とても大切だし、ぼくも大事にしてきたつもりだ。多くの資料も、手元にある。しかし、何度も言ってきたが、(一億総ざんげ)などと言って、戦争責任をあいまいにしてはならない。戦争を繰り返さないためにも、責任追及は、残された我々の最低の義務ではないか・・・と思う。 前にこう書いた・・・・ 強がりを言う大本営の参謀達を押さえつけ(=時間稼ぎせず)、半年前(昭和20年2月迄)に降伏していれば、フィリピン、硫黄島、沖縄で、50万の兵士は助かり、悲惨な世界戦史上な尤も愚劣な特攻(死者約1万人)もせずに済み、本土爆撃(死者20万人)、原爆投下(死者10万人)、ソ連参戦による満州、朝鮮、樺太、千島列島の占領(ソ連軍に抑留後の死者約8万人)も受けずに済んだ。 つまり日本は半年早く負けて(降伏して)いたら約100万人ちかくの国民は助かったはずである。 天皇の「戦争責任」は、果てしなく大きいのだ。ヒトラーやムッソリーニと同じで、超一級戦犯であることは、間違いない。多くの悲劇を招いた昭和天皇(ヒロヒト)は、本来、絞首刑を免れることは、あり得なかった・・・ ところが、戦後、占領軍マッカーサーは、日本の占領統治に天皇制を利用した。そのおかげで、超一級戦犯のヒロヒトは、絞首刑を免れたのだ。 (正義)は、貫徹されなかった。これが、歴史というモノか・・・ 多くの餓死、戦病死した兵隊たち、空襲などで殺された民衆の(恨み節)が、聞こえてくる・・・と思うのは、僕だけだろうか? 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ------------------------------------------------ 家族と生き別れ北朝鮮で暮らす「残留日本人女性」。その哀しき人生 2019-4-21 現代ビジネス (前略) 家族とはぐれて北朝鮮に残留・・・ 私は中国、フィリピン、サハリンの「残留日本人」を取材したことがある。アジア太平洋戦争が終焉した時、海外にいた日本人は660万人以上。日本から移住した民間人と戦場や植民地へ送り込まれた将兵だ。その多くは、戦後すぐに帰国を余儀なくされた。ところが、さまざまな経緯で残留した日本人がいる。 日本が植民地統治をしていた朝鮮半島の日本人は、もっとも多い時には約75万3000人。日本の支配が終わると、朝鮮半島は北緯38度線で南北に分断される。南側を統治した米国は、日本人の強制的な早期引き揚げを指示し、日本への積極的な輸送活動を行なった。 一方、北側を統治したソ連は、1946年12月に最初の引き揚げ船を出すまで日本人を留め置いたのである。もっともこの時点で、捕虜となっていた将兵は約2万2000人が残っていたものの、民間人は約8000人しかいなった。97%の人たちは決死の覚悟で38度線を突破し、南側を経由して帰国していた。 ソ連統治下でのこの引き揚げ事業は、1948年9月9日の朝鮮民主主義人民共和国建国の直前の 7月で終了。朝鮮人と結婚していた女性しか、北朝鮮に日本人はいないはずだった。ところが実際には、日本人たちが残留していたのである。1951年の外務省「引揚白書」は、生存者数3303人としている。 字数制限により、下記参照・・・・ https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201905080002/ (2019年05月26日 11時52分51秒)
手違いで、また重複になりました。お手数ですが、重複分は、削除願います。よろしく。
(2019年05月26日 11時54分44秒)
h1212jpさんへ
で、あなたは今更それをどうしたいというのでしょう? そもそもムッソリーニの処刑は正義であるとあなたは思っているのですか? まともな裁判にかけられることもなく、処刑され晒されたムッソリーニの処刑に対する後の評価がどんなものであるか、 たまたまそこに居合わせたアメリカ人滞在者はムッソリーニを処刑し晒したパルチザンと群衆を「邪悪で堕落しており、自己を抑制できていない」と強い嫌悪感をもって評価しています。 まともな裁判にかけることもなく、民間人であるペタッチまで殺害したこれらの処刑は「戦争犯罪ではないのか?」というのが後々の評価だ。 臨時政府の首相となったイヴァノエ・ボノーミ首相は自らの正当性を保つため、新政権がこのような残虐で違法な行為に加担したことを全面的に否定しました。 で、もう一人のヒトラーは「自殺」です、 ではニュンベルク裁判ですでに死んでいるヒトラーの罪を裁いたのかというと、すでに死んで起訴することが不可能なヒトラーは結局その罪は死後も問われることはなかったわけです。 結局のところあなたのあげた3人は誰一人として正式に戦争責任を問われた者はいないわけです。 で、あなたは今更それをどうしたいのです? 今になって「すでに死んでいる」昭和天皇を裁判にかけて裁けとでも? ムッソリーニとヒトラーも併せて死後に裁判にかけ今更その罪を裁くのですか? (2019年05月26日 13時29分55秒)
いろいろな書き込みありがとうございます。
菊タブーはけっこう広くいきわたっているように思います。 陵墓の調査ができないという学術面もそうです。 科学のはったつした現代では陵墓被葬者のDNAを詳細に鑑定することにより日本の支配層はどこから来たかという問いに対する答えは相当正確にでるように思います。それをいまだに「日本人はどこかたやってきたか」なんていうオブラートにつつんだ問いをやっているのですから。 それだけではなく、なぜ日本の歴史ドラマが戦国と幕末に集中しているのか。古代史や平安京の宮廷を舞台にしたものがなぜないのか。 まあ、そういうものも含めて、天皇制があった方がよいという考えもあるのでしょうね。そしてまたあった方がよいの中にも何が何でも存続と自然にまかせるという派があるようです。 客観的には多くの国は王政や君主制がなくても普通に国家を運営していますからね。王がいなくなれば独裁は恐怖政治がはじまるというわけではありません。 この日記のテーマはそれとは別に、K氏という一般人をマスコミが集中して叩いているのに疑問をもったからです。そもそも法律事務所のパラリーガルはそんなに酷い職業なのでしょうか。なにか司法試験受験生のアルバイトのようにとらえること自体、一種の偏見ではないかと思います。 (2019年05月27日 07時23分13秒)
七詩さんへ
ひょっとして少しだけ俺と同じ想像していませんか? 天皇家は古代ユダヤ人って。(笑 元は数万年前にDEから枝分かれして日本人(縄文)がハプログループD。 古代ユダヤ人(※ここでは大まかに)がハプログループE。 そしてYAP(ヤップ)遺伝子はユダヤ(※ここでは大まかに)と日本人男性一部とチベットに見られること。 (ここまでは判っていること。) 日本から渡ったのか、それとも日本へ渡ってきたのか? ヘブライ語と日本語の共通点が多いことの謎も理解できるし。 仮にそうだとしたら、天皇家が男系で繋いできた理由も頷けるし。(笑 ロマンだね~♪ ぷっ 本気にしなさんな?(笑 (2019年05月27日 08時23分15秒)
ボンクラ天皇(アキヒト)のおかげで、数百万の人命が奪われた。そのことの意味は、とてつもなく大きい。
そのことを認識できるかどうかは、人間としての評価に関わる。 「勝った負けた・・・」と騒いでいる人間には、(兵隊は将棋のコマ)にしか、見えない。数百万の犠牲のウラには、数百万の悲劇のストーリーがある。 これは、何度も言うが、想像能力の問題だろう。 今また、戦争を理解(想像)できない人間が、戦争を安易に語る現状は、不吉な未来を予感させる。 僕のように、あと何回桜を見れるだろうか?という年代の人間にとっては、ある意味、どうでもいいことだが・・・・ よくブログで書くのだが・・・我々は、後の未来に、何を遺したのか? 何を遺そうとしているのか?・・・・・・と。 これもアキヒトの戦争責任の問題だ。参考に・・・ (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――― 1941(昭和16)年12月に始まった米英などとの戦争で、大日本帝国は当初、勝利を重ねた。だが連合国軍が体制を整え本格的な反攻を始めると、劣勢に転じた。決定的だったのは1944年。ことに7月、サイパンやグアムなどマリアナ諸島を米軍に占領されたことだ。米軍がここを拠点に、大型爆撃機B29による日本本土爆撃が可能になった。 そのことを、日本の為政者たちは知っていた。だが、戦争をやめなかった。そのため被害は拡大した。戦争による日本人死者310万人のうち、実に9割が1944年以降と推算されている(『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実』吉田裕著・中公新書)。 第二次世界大戦末期、劣勢の大日本帝国陸海軍が進めた特別攻撃隊=「特攻」。 いずれも戦闘機や爆撃機などが爆弾もろとも敵艦に突っ込む「航空特攻」が、良く知られている。 しかし、特攻にはそれ以外にも水上の軍艦による特攻(水上特攻)や小型潜水艦などによる特攻(水中特攻)があった。これらの特攻では航空特攻に匹敵するほど多くの兵士たちが死んでいった。 「水上特攻」の代表は、戦艦「大和」など10隻による沖縄水上特攻がそれである。「世界最強」と謳われた戦艦「大和」は実質2時間程度の戦闘で撃沈された。乗員3332人のうち、伊藤司令長官ら3056人が戦死した。生還者は276人。一割にも満たなかった。軽巡洋艦「矢矧」と駆逐艦「磯風」、さらに「濱風」「朝霜」「霞」も沈んだ。艦隊全体では4044人が死んだ(前掲『戦艦大和 生還者たちの証言から』)。たった。 この水上特攻で米軍が直接的に被ったのは戦闘機3、爆撃機4、雷撃機3の計10機の損失と戦死が12人。これが「大和」以下六隻と、4044人の命と引き替えた直接的な戦果である。鉄板に卵を投げつけたような戦いだった。沖縄を取り巻く米軍を蹴散らすどころか、敵艦の陰すらみることはなかった。 無残な失敗の責任は、もちろん4044人にはかけらもない。この「作戦」を進めた海軍上層部にこそある。そしてその責任を負うべき者たちは、決して第一線には行かなかった。 さて昭和天皇は敗戦後、この「大和」特攻について語っている。沖縄戦を振り返る中で、「とつておきの大和をこの際出動させた、之(これ)も飛行機の連絡なしで出したものだから失敗した」とし、「作戦不一致、全く馬鹿馬鹿(ばかばか)しい戦闘であつた」と断じた(『昭和天皇独白録』)。 戦争は、天皇ヒロヒトの名前で宣戦布告して、始められた。ヒロヒトの戦争責任は、計り知れないほど、巨大なものである。 忘れるな! ヒロヒトの戦争責任を! 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――― 「命が削られる音がした…」沖縄水上特攻・生還者たちの証言。時代遅れの巨大戦艦「大和」とともに 2018-1-24 栗原 俊雄 現代ビジネス 「燃料は半分。飛行機の護衛はない」今から73年前の1945年4月、駆逐艦「雪風」の寺内正道艦長は、西崎信夫さん(91)たち乗員にそう話した。「特攻だ」と・・・・・・・・ 字数制限のため、以下参照に・・・・ 「命が削られる音がした…」沖縄水上特攻・生還者たちの証言。時代遅れの巨大戦艦「大和」とともに 2018-1-24 栗原 俊雄 現代ビジネス(講談社) https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201812170001/ (2019年05月27日 13時18分29秒)
七詩さんへ
自分のブログでやればと思いますが、そうも行かない人たちなのでしょう。 さて、 そもそも法律事務所のパラリーガルはそんなに酷い職業なのでしょうか。 事務所の規模や性格から仕事の内容は多様です。ただ年収3~400万円程度です。 社会的地位も高くなく、上級国民が就く職業とは思われていないのでしょう。 弁護士、医師、公務員、大企業の社員ならこんなにたたかれることはなかったでしょう。 郵船の社員と対照的ですね。 1億5千万円ほどの財産分与もあるし、夫婦で働けば1千万円くらいにはなるでしょうから、一般国民なら十分ではないでしょうか。 好きな者同士が結婚するでいいでしょう。 (2019年05月27日 17時29分06秒)
これも天皇の戦争責任に関わる問題だ・・・
――――――――――――――――――――――――――――――― 「特攻」は、建前社会の軍隊では本音が言えず、事実上の強制だった・・・・・ 戦争指導者たちは、「特攻は本人が志願したのだ。」とうそぶくが、事実上、暗黙の強制だったのが真実だ。本当に、日本の上級将校たちは、軍人の風上にも置けないような卑怯モノばかりだった。 その頂点に君臨したのは、アキヒトだったことを忘れてはならない。大戦の責任を、(卑怯な軍指導部=大本営)に限定するのは、大きな誤りだ。そのことで、一級戦犯のアキヒトを免罪するなどは、歴史の偽造以外の何物でもない! 今でも、「天皇は、平和主義者だ」などという、ばかげた主張をする学者やマスコミが存在するが、白を黒という類の暴言だと断言できる。 決して忘れてはならない真実・・・それは、昭和天皇・アキヒトの超重大な戦争責任の問題だ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――― 本音言えば「半殺しに遭う」。特攻隊志願は、事実上の強制 2018-8-14 神戸新聞NEXT その日は、楽しい一日になるはずだった。1945(昭和20)年2月8日。艦上攻撃機のパイロットを養成する姫路海軍航空隊として鶉野飛行場(兵庫県加西市鶉野町)で訓練を受けていた桑原敬一さん(92)=横浜市=らは、休日で外出できるとあって朝からはしゃいでいた。 しかし突然、集合が掛かり、上官から告げられる。「特攻隊を編成することになった」 爆弾を抱えた航空機で敵艦に体当たりをする「特攻」は、44年10月のフィリピン・レイテ沖海戦から始まった。日本軍の航空機と搭乗員が減る中、練習航空隊も特攻隊に組み入れられることになった。 紙切れと封筒を渡され、希望するかしないか、誰にも相談せずに書いて出せという。その場は重苦しい雰囲気に包まれた。 当時、18歳だった。岩手県にいる母と姉、4人の妹や弟のことが気になった。一番下の弟とは12歳離れていた。2カ月ほど前に父が亡くなったばかり。体が弱い母と姉が働き、桑原さんは仕送りを続けていた。白紙で出そうかとも迷ったが「命令のままに」と書き、封筒に入れて出した。 午後から、海軍飛行予科練習生(予科練)からの同期生で酒でも飲んで気分を変えようと、北条の町(加西市中心部)に繰り出した。「何て書いた?」。自然とそんな話になる。白紙や「希望しない」という者はいない。「半殺しに遭うもんな」と語り合った。 「建前社会の軍隊では本音が言えず、事実上の強制だった」 2日後、選ばれた者が発表された。桑原さんの名前もあった。頭の中が真っ白になった。家庭の事情に配慮してくれるという淡い期待は裏切られ、大きな足で踏みつぶされたような圧迫感を覚えた。 予科練の同期18人の中で選ばれたのは7人と記憶している。名前を呼ばれたのは操縦技術の優れた順だった。桑原さんは4番目だったという。 燃料が足りないため、航空機には選ばれた者しか乗れず、宿舎も別になった。指名されなかった者はほっとする一方、肩身が狭い。彼らの複雑な心境をその視線から感じた。 離着陸、編隊飛行、降下。これまでしてきた訓練の中に変化もあった。降下爆撃なら、一定の高さまで降りたら操縦桿を引いて上昇するが、特攻の場合はそのまま突っ込む。 「大地がぐっと迫ってくるのに、引いちゃいけないんだ、という緊迫感があった。『死』を完成させるため。これは大変なことだ、と思った」 73年前、鶉野飛行場で訓練した姫路海軍航空隊から神風特別攻撃隊「白鷺隊」として出撃した63人が命を落とした。 (2019年05月27日 18時13分55秒)
h1212jpさんへ
そうですね~~ 少なくとも引き際を見失った責任は軍上層部と天皇にはあると思いますよ。 じゃあ引き際ってどこだったのかっていえばアメリカとの戦争ですよ、結果論ですが日本はアメリカとだけは戦争しちゃいけなかったんですよ。 じゃあなんで日本はアメリカと戦争することになったのか、アメリカが石油と鉄の輸出を止めたからで、これらの資源を求めて日本は東南アジアに進出していくわけですよ。 日本はそんなにアメリカと戦争がしたかったのか? 別にしたくなかったと思いますよ、石油と鉄の輸出を止められなかったらアメリカと戦争する理由なんてどこにもないし、実際当初はそのような交渉に動いています。 じゃあアメリカは何で日本に経済制裁を加えたのか、中国の利権が欲しかったからです。 アメリカはキューバの独立の問題なんかもあって中国への進出が遅れた、まあロシアにその利権を抑えられるより日本の方がマシということで日露戦争までは日本に対して友好的だったわけですよ。 で、いざ日本が満州の利権を確保するとですね、鉄道を日米で共同経営しようとかとにかくアメリカも中国に進出したいのでいろいろと言ってくるわけですよ。 で、日本が素直に言うことを聞かないので日本に対しても警戒心を持ち始めるわけです、まあだんだん邪魔になってきたわけです。 ついでに当時のアメリカは太平洋への進出を進めていた時ですから、その対岸にある日本にあんまり力をつけてもらっても厄介なわけですよ。 日中戦争がはじまりアメリカとしては既に厄介になってきた日本に勝ってほしくない、けれど立場的に中立を守ります、 で、最終的にアメリカが切れたのはですね、大東亜共栄圏っていうやつで、日本、満州、中国、東南アジアを統合した経済圏を作ろうという動きです、 早く降伏すればよかったんだと言いますけれどね・・・ そうじゃないですよね、なぜそんな大国を敵に回して戦争しなければならない状況になったのか、そこが問題ですよね、降伏しなければならない状況を作ったのはそこなんですから。。。。 じゃあどうすればよかったのか、結果論ですが満州の利権、中国の利権をですねアメリカにある程度認めて、アメリカとだけは有効な関係を維持しておくべきだったのですよ。 当時の日本の置かれていた状況、国際情勢そういうのを加味して何が最善だったのか、どうすべきだったのかってことを考えなければ反背になんかなりませんよ。 あなたの理屈だとですよ、悪かったのは天皇と軍上層部で、それらが馬鹿だったから悪いんだ全ての責任は彼らにあるんだ。。。。 まあ責任はありますよ、だから天皇は政治的権力も発言権もない象徴になったし、民主的な手段で選ばれた議員で構成する国会で物事を決める体制が出来上がった、 ならもう天皇には何の力もないから二度と戦争は起きませんね良かった良かった、めでたしめでたしで終了ですね。 そうじゃないでしょ、何でそうなったのか、なぜその道を選ばざるを得なかったのか、どうすべきだったのか、そういう視点がなければまた同じことを繰り返すと思いますよ、 戦争を支持するのは戦争がしたくてしたくてしょうがないバーサーカーなんじゃないんですよ、そこに何かしらの理由があるんですよ、そこを見なきゃあ本質を見失いますよ。 それとですね。。。。 >自分のブログでやればと思いますが、そうも行かない人たちなのでしょう。 ていう指摘も来てます、あなた同じこと自分のブログに書いてますよね、こちらのブログの主題と完全にずれてますのでこの指摘もっともですよ。 続きがしたいならそちらのブログに伺いますけれどどうされますか? 私はあなたが「皆さんは、どう思われるか? 」と問うから答えてるだけですから。。。。 まあこの人は人に対して批判したことを全力で自分が実践してますから、人にえらそうなこと言えるような人ではないですけれど。。。。 (2019年05月27日 20時15分23秒)
仙石 和三さんへ
ユダヤというのは話として面白いだけでしょう。 おそらく北アジアのどこかでしょうけど、そうした支配者となった集団の由来には興味があります。 (2019年05月27日 20時30分11秒)
h1212jpさんへ
◎戦争の悲惨さ、それも連日、幾度もとち狂ったような同じコピーペーストお疲れ。 皆あんたほど頭悪くないから一度貼ればよい。 やはり、俺が読みどおりだったな? 精神疾患か、または 幾度も貼るのは共産党に洗脳された皇室制度廃止目的の印象操作って処か。 今更ながら反日の天皇責任論とは。(爆 人間の基礎ができていない人間が何を語ってもやっても無駄。 ★処で血を流さない戦争が過去にあったか? 極端すぎる言い方をすると あんたのは宝くじの当選番号発表後に昭和天皇が当たり番号を買わなかったと批難しているようなものに映るが? つまりな? あんたのは詭弁で結果論だから女々しい。 ------------------------------------------ ◎それから 戦争でも喧嘩でもやるからには負ける事を前提にしない。 米は話し合いに応じなかったし、日本を最後通牒(ハルノート)で追い詰めるだけでな? ※できれば交渉のテーブルにつかせたかった。 ◎引き際なら本土決戦まで覚悟・最悪想定していた。 原爆など昭和天皇の頭に無かっただろう。 だから本土決戦を覚悟して身内の仇をとろうとしていたのに昭和天皇の玉音放送を聴いて驚き悔しがった国民もいたようだし。 ◎それと知っているかな?【米のオレンジ計画】 最初から米は日本との戦い方が決まっていた。 ★端から日本の防衛圏の島々を潰してから必ず本土を攻撃をする。 つまり、防衛圏の島々は必ず潰されるし、それに日本軍人は簡単に降伏などしない。 ◎確かに降伏するなら絶対防衛圏(その島々)が破られたら無理しないでそこまでだろうと思うが、 米が本土上陸を目論んでいてオレンジ計画を中止しただろうか? ★原爆は2種類。(プルトニュウム型とウラン型) だから戦後に日本に早く降伏させるためにやむなく落としたってのは詭弁と思うわ。 親日家のアインシュタイン(ユダヤ)がドイツに落とさせる目的案の原爆だったが、それを米が日本に使用した。 昭和天皇も夢にも思う筈ないだろう。 あんたは結果論ばかりで何と言うか少し思考回路が○い。(自粛) ----------------------------------------- ◎当時は勝った側が正義。 ならば負ける喧嘩はしないことだよな? それなのに強い列強を相手にしたのか? 何故だ? 戦争回避する方法はあったけど? ただ、それだけで解決できないことがあったわ。 (※列強からのアジア開放。) ※これ、見方によっては入れ替わったと言う意見もあるが、それまでの列強の搾取支配とは全然違うのも事実。 日本に足りない物は原油だけでない。あらゆる物が不足していた。 ※大東亜戦争で不足している力を出し合わないと列強とは戦えまい。 -------------------------------- ◎アジアの独立のために結集した大東亜会議。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E4%BC%9A%E8%AD%B0 1943年11月、東京で開催された大東亜共栄圏諸国の会議。日本(東条英機)、中華民国(南京国民政府=代表汪兆銘)、タイ(ピブン首相は欠席、代理が出席)、満州国、フィリピン(ラウレル大統領)、ビルマ(バーモウ首相)の6ヵ国が参加した。インドは陪席(オブザーバー)として自由インド仮政府の代表(チャンドラ=ボース)が参加した。 11月6日には「大東亜共同宣言」を発表、大東亜の解放と共存共栄、独立親和、互恵による経済発展、人種差別撤廃などをうたった。 ★しか~し、この動きに対して、、アメリカ・イギリス・中国の三国首脳名でカイロ宣言を発し、日本の植民地解放を掲げた。 -------- ↑↑↑↑↑↑↑↑↑ ※つまり、この時から列強側が日本の植民地解放とする情報戦を繰り広げたってわけだ。 (それが証拠に日本が敗れた後で再度、イギリス・オランダ軍が侵攻した。) ★幸運なことに日本が原爆で敗れてもアジアで育てた日本精神が、 再度侵攻したイギリス・オランダ軍などを相手に独立戦争で独立を勝ち取った。 さらにその風は広まってアジアが開放された。 今日のアジアがあるのは日本の貢献があったことが大きいってこと。 天皇陛下~♪バンザーイ 天皇陛下~♪バンザーイ 天皇陛下~♪バンザーイ(爆 べー♪ (2019年05月27日 20時35分50秒)
maki5417さんへ
昔、見てはいなかったのですが三船敏郎主演の弁護士ドラマがあって、そこで坂上二郎が法律事務所事務職員で万年受験生の役をやっていました。法律事務所職員≒万年受験生という連想自体が昭和な偏見なのかもしれません。 国際的な事件を扱う法律事務所で英語を専門にする事務職員というのは立派な職業でしょう。上級国民と言いますが、本当の意味での上級国民の男性はわざわざ面倒な皇族との結婚などしないでしょうね なんか皇族を批判できない分、今のところ一般人であるK氏をこれでもかと叩いている感じでいやですね。特に母親に対する悪口など人権問題ですよ。贅沢三昧で着飾ってきている女性ならともかく、生活と格闘してきた50代女性に失礼な表現がすぎます。 (2019年05月27日 20時38分16秒)
七詩さんへ
特に母親に対する悪口など人権問題ですよ。 同感です。 相手の男性はスルーで、母親の方は交友関係まで暴かれどうかと思います。 皇室が絡まなければ、マスコミが飛びつくのは男性の方でしょう。 400万円くらいで騒ぐ〇〇男なんて見出しでしょうか。 弱者をたたく嫌なものを感じます。 ましてやK君は無関係でしょう。 (2019年05月28日 00時04分32秒)
maki5417さんへ
そうなんです。 普段は差別はいけないといいながら差別偏見のオンパレードです。 法律事務所の職員はまともな職業じゃないの? 国際業務を扱う大きな事務所で英語を使っての業務は立派な仕事じゃないの。 親が自殺したのなんのと言うのに対して、「自殺遺児の会」とかは抗議しないのかしら。 (2019年05月28日 20時24分20秒)
多くの惨禍を招いたアキヒトの戦争責任は、日本人にとっては、忘れることのできない、子孫たちへの(申し送り)になるだろう。
彼の生死が問題ではない。愚かな戦争で多くの国民が(犬死に)させられたという、その反省は、後世に語り継がなければならない。 これが、日本人の歴史の真実の一部だから。真実に向き合わないのであれば、スルーするしかないだろう。間違ったキャンペーンに洗脳されて、真実から目を逸らすという国民が存在するのは、悲しいことだが・・・天にツバする人たちは、歴史の真実から遠のいていくしかない。 匿名で(書き込み)できるというのは、ある意味、無責任を野放しにするという危険を伴う。歴史の偽造にもつながるので、絶えず、注意が必要だ。 日本は、中国や北朝鮮と違って、人権が相当、保障された(先進国)であるので、言論の自由は、どんどん生かされねばならない。 せっかくブロガーが、問題提起してくれた(天皇制と元号)だが、書き込みなどをときどき、見ていると、どうも、基本的なベースが、ずれているように思える。それで、前回、言った・・・・ (いろんな意見があって良い。発信できる自由があるのは、北朝鮮や中国などの全体主義国、共産主義国とは、決定的に違う。) 読みたくなければ、スルーすれば良いだろう。読みたい人は読む。そして、真摯な意見のすり合わせは、このブログの発展に、つながるだろう・・・ 以下紹介する。天皇制の議論に役立ててほしい・・・・ (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――― 戦争孤児12万人、どこへ。 妻子にも口閉ざし生きてきた 2018-8-14 安田桂子 朝日新聞 戦争責任の追及を免れたヒロヒト(天皇)は、12万人以上の「戦争孤児」のことを どれだけ知っていたのだろうか? 戦争の被害者は、軍人軍属だけではない・・・空襲被害者、原爆被爆者などは、よく知られているが、父母の死亡により発生した多くの「戦争孤児」や国際法違反のソ連による満州侵略により発生した「中国残留日本人」、「シベリヤ抑留者」なども、明白な戦争被害者だ。 恨みを飲んで死んでいった死者の数は膨大だ。天皇ヒロヒトの戦争責任は、消えることなく巨大なものである・・・ ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 戦争孤児12万人、どこへ。 妻子にも口閉ざし生きてきた 2018-8-14 安田桂子 朝日新聞 https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201811240001/ 戦後しばらく、各地の駅や公園には寝泊まりする子どもたちの姿があった。空襲や戦闘、病気で親を亡くした孤児たち。国が終戦直後に行った全国調査では、その数は12万人。それ以降の調査は見当たらない。焼け跡に残された子どもたちは、その後をどう生きてきたのか。 赤紙配った、みんな死んでしもうた 軍に背き守った秘密・・・ 生後3カ月、5カ月、2歳、16歳……。京都市下京区の大善院に、8人の子どもたちの遺骨や遺髪が安置されている。住職の佐々木正祥(まさよし)さん(64)が20年ほど前、本堂の裏の物置で古い木箱に入っているのを見つけた。木札には「昭和23~28年死亡」と記され、「伏見寮」の墨字があった。 京都駅にはかつて親を亡くした子どもたちがあふれ、「駅の子」と呼ばれていた。市内には戦後の一時期、戦争孤児を預かる施設があった。伏見寮もそのひとつ。佐々木さんの叔父は寮の元職員だった。 京都市左京区の小倉勇さん(86)は1年ほど伏見寮で暮らした。13歳だった1945年7月、福井・敦賀の空襲で母を亡くし、翌年2月、父が病死。食糧難の時代、身を寄せた伯母は冷たく、各地を転々とした。 死んでいく子を何人も見た。8歳ぐらいの女の子。やせ細り、裸足を真っ赤に腫らして、大阪駅前で力尽きた。福井駅で出会ったひとつ年下の「かめちゃん」。盗みをしては、闇市でカレーや肉まんを分け合った。東京・品川駅近くで電車に飛び込んで自殺した。 小倉さんは2年の放浪の末、京都駅で保護された。緑内障の適切な治療を受けられず、左目を失明した。「歯を食いしばっても泣いても、世間は冷たかった。地獄でした」。社会への不信感から、黙っていようと決めた。 那覇市の柳田虎一郎さん(80)は、孤児としての戦後を妻や子どもにも話さなかった。「何のために生まれたのかと思ってきたから。苦しんだ日々を話して心配かけたくなかった」 (字数制限のため、以下参考) https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201811240000/ (2019年05月29日 08時56分27秒)
h1212jpさんへ
朝日と現代からの引用で悲惨さばかりであんたは学習能力無し。 コレに関してはコメントを返してあるから読んで知性を高めろ。 「過去に血を流さない戦争があったら教えてくれ。」 遡って読み返せや。 ※それから真面目な話しだが、一度精神科で診察受けたらいいレベル。 行ってらっしゃい~。 (2019年05月29日 18時23分19秒)
h1212jpさんへ
アキヒトではなくヒロヒトでしょう。たなたまそこに生まれたというだけで本人にはさほど責任はないと思いますよ。国民もそう思っていたから地方巡行を歓迎したのでしょう。でも、一方で天皇制を守るために終戦が遅れたのは事実ですし、もっと早く戦争が終わっていれば助かる命もあった。それに終戦を決断したのが東京大空襲や原爆の後ではなく、ソ連参戦の直後というのも複雑です。庶民が万単位で死ぬことよりも、ソ連の影響力が強まって首があぶなくなる(文字どおりの意味です)方が不安だったのですね。 (2019年05月29日 19時04分37秒)
七詩さんへ
>もっと早く戦争が終わっていれば助かる命もあった。 ◎それを言うなら「最初」から強いものを相手に戦争はしないこと。 (弱い者虐めの戦争なら負けないわ。(爆 ) ★それなら変わらないことがあるだろう?考えろ? 欧米列強に植民地にされていた問題はそのままか? 大東亜戦争は日本の生き残りと列強からの独立が全部含んだ戦争だったんだわ。 ◎だから「天皇」と「国王」の違いがそこだと俺が述べてあったろう? 自国のことだけを考えていたら回避はできたのにな? これが日本人なんだわ。これが日本の天皇なんだわ。 義(ぎ)を見(み)てせざるは勇(ゆう)無(な)きなり。 ★★★自己に嘯いて恥かしい生き方ができると楽なのにな?★★★ ------------------------------ >それに終戦を決断したのが東京大空襲や原爆の後ではなく、 ◎これも俺がコメントしてある。遡って読んだかな? 七誌さんのことだからコメントが入ると豆に読まれていると思うけど。 ★本土決戦までは考えていたこともあったし、 しかし、予想していなかった最初の原爆(8月6日)広島。 とソ連参戦(8月9日)。 注意→(※ソ連が火事場泥棒といわれる理由。) ★原爆投下されて、さらにソ連参戦では誰が考えても勝ち目は無い。 本土決戦でも無理だろう。 それで天皇陛下の所謂「ご聖断」午前会議が8月14日の運びとなった。 -------------------------- ◎昭和天皇ご自身は首の心配などされんわ。 心配をしたのは周囲だろう。 ★さらに、ある意味でマッカーサーが天皇を利用したのでない。 日本国民が必要としたのよ? (それが証拠に当時の国民は昭和天皇を責めたりしていない。) ★当時の日本国民が昭和天皇を憎んでいたら、マッカーサーは昭和天皇もいかようにも裁けたと思わんかね? 違うか? ※つまり、マッカーサーが昭和天皇を想像していたのと違って 紳士であること。 ご自分はどうなってもいいからと国民の食料を心配された昭和天皇にマッカーサーが惚れてしまったってことに尽きる。 そして当時の日本国民もだ。 これが日本人がちょっと違うところでないか。 ※さらに昭和天皇ご自身でご自分に責任があることを認めている。 それがマッカーサーに会って国民を心配された時に述べている。 ------- マッカーサーは天皇が命乞いをするためにやって来たと思った。ところが、天皇の口から語られた言葉は、『私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした』というものだった」と。 ---------------------------------------------- ◎歴史から学び考えることは間違っていない。 されど日本人なら誇りを見失わないことです。 先の戦争はアジアへの貢献と考えて誇りを忘れないことです。 結果論で馬鹿だアホだと言っても今更死んだ人が生き返るわけでもない。 自国のことしか考えない損得だけでコロコロ変わる韓国人同様に成り下がりたいか? 誇りを見失うなわないことです。 (2019年05月29日 21時13分12秒)
≯マッカーサーは天皇が命乞いをするためにやって来たと思った。ところが、天皇の口から語られた言葉は、『私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした』というものだった」と。
---------------------------------------------- >歴史から学び考えることは間違っていない。 されど日本人なら誇りを見失わないことです。 先の戦争はアジアへの貢献と考えて誇りを忘れないことです。 結果論で馬鹿だアホだと言っても今更死んだ人が生き返るわけでもない。 正しく正論中の正論です。 昭和天皇いなかりせば、GHQの戦後支配、GHQ以降の日本統治は現実よりも偏狭、苛烈なものになっていたでしょう。 又、戦後から現在に繋がる奇跡ともいうべき日本の戦後復興、経済繁栄、日米連携の下での平和維持への道筋もなかったでしょう。 戦時中、天皇独裁専制ならば天皇は独自の的確なる情報を得て御前会議に連なるメンバーに異議を唱えることも出来だだろうが、天皇独裁専制でない、又、天皇独自の情報機関を持つこと等許されるべくもなかった天皇に対して、結果論として何故早く戦争を止めることができなかった等と今更、嘯いても何のプラスにもならない戯言、ナンセンスの極みでしょう。 蛇足ながら御前会議メンバーで万死に値するは松岡洋右が筆頭と云えるだろう。 (2019年05月29日 22時29分34秒)
h1212jpさんへ
>せっかくブロガーが、問題提起してくれた(天皇制と元号)だが、書き込みなどをときどき、見ていると、どうも、基本的なベースが、ずれているように思える。それで、前回、言った・・・・ そうですね、今更そんなものと元号・天皇制を結び付けてだから元号はんか要らないんだ、天皇なんかいらないんだとかいう主張は基本ベースが相当ズレていますね。 それで、違うでしょ、ズレてるでしょってことを前回まで指摘しているのですがどうやら反天の凝り固まって理解できないようですので最初からおさらいしましょう。 まあブログ主の七詩さんの参加もあるようですので。。。。。 まず仮に昭和天皇に敗戦の責任があったとしてもそれは現天皇、上皇には何の関係もないことで、その責を彼らに問うのは筋違い。 国会の責任は現時点で国を代表するものに問うというのならわからなくもないが現天皇は政治的権力も発言力も一切持たない象徴にすぎない。 そんなものに自分がやったことでもない先祖の罪を問うても意味がない。 昭和天皇が負うべきは国民に対する敗戦の責であるので、問うならば終戦後に国民の手で地位の剥奪でも処刑でもすればよかったのだろうが、 それを選ばなかったのは国民なので今更それを蒸し返してもしょうがないし、なぜそうなったのかと言えば戦後「東京裁判」という手段で勝者が敗者を制裁するという単なる「はらいせ」で裁いてしまったから。 その勝者の「はらいせ」で、裁かれたものに戦争の責を全て押し付けてしまったので、国民がその責を問う機会を失ったという面が大きい。 それとですね、天皇機関説ってのがあってですね、 統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼を得ながら統治権を行使する。 っていう考え方でして第二次世界大戦当時はこの説が有力で昭和天皇は天皇機関説を当然のものとして受け入れていますので当時の統帥権は国家にあるのであって天皇にはない。 天皇の意思決定には国務大臣の輔弼が不可欠で、国務大臣の輔弼なしに天皇が統治権を勝手に行使することはできない。 天皇は機関であって国家人民のために統治するのであって、天皇自身のためするのではない。 っていうのが当時の天皇に対する主要な認識であり、昭和天皇のころにはとっくにそれが浸透して当然のものとなっていましたので、国家のトップ、最終意思決定者としての責任のみ残る。 天皇が一人で何でも自由に勝手に決めれるとかいう説はそれよりもずっと前の時代の遺物です。 で、機関としての最終意思決定を行ったものとしての責任は残るんですが。。。 ではなぜロシアの参戦でようやく無条件降伏という道を選んだのかと言えば。。。 そのロシアを仲介して和平工作を行っていたけれど、ロシアの参戦によりその道が完全に閉ざされたからですよね。 あなたの主張するなぜもっと早くとか言ってる時ってとっくの昔に引き際を探して「どうすればより良い条件で降伏できるか」ってのを模索してた時期ですよね。 無能だからただだらだらと終戦を長引かせていたんだとか考えるのは馬鹿のすることですよ。 「馬鹿だったから」「無能だったから」じゃあ何の反省にもならないし、なぜそういう道を選ぶに至ったのか、そうせざるを得なかったのかってことに思いが至らないとですね、 似たような状況になった時にまた同じ過ちを繰り返すんですよ、 あなたの書いてる事ってですね考えているようで実は何にも考えてないし、真実にたどり着こうとしているようで全力で真実から目を背けてるんですよね。 そもそもですが・・・・ 現天皇があなたの言う過去の天皇と同じように無能だったとして、何の問題があるのですか? 意思決定を行う権利もないただの象徴にすぎないんですよ。 もしも血統のみで引き継いできた天皇制のためにぼんくら天皇が生まれ、そのぼんくらが意思決定したために戦争の悲劇が起きたんだっていうのなら、 既に天皇には意思決定の権利は与えられていませんので、たとえ天皇制が存続したとしてももはや二度とそのような過ちが起こることはあり得ないということになりますので、 天皇制の是非を問う必要性は全くないということになりますね。 ということであなたの主張と天皇制や元号と全く結びつかない、何の関係もないですね。 (2019年05月29日 22時40分29秒) |