一時期大島の牛乳風呂は評判を呼んでいた。知り合いから何時頃の話なのか調べて欲しいと頼まれたので、分った事を忘れないように書いておこうと思う。
江戸時代に江戸から荷役用の馬や牛が持ち込まれ繁殖したが、明治後期になってホルスタイン種が移入されお乳を搾るようになる、大正末の全国畜産博覧会でエリザベス吉川号は1ヶ月の搾乳量日本一になっている、どの家でも飼っていて1200頭も居たという。豊富にあったお乳を搾ったカスなのか何だか良く知らないが、脱脂乳を使って「牛乳風呂」を観光客向けの宿のサービスとして出し始めたのが昭和の初期だった、私が小学生時分に給食に出た牛乳が脱脂乳だったと思うが、ああやって粉を溶かせて風呂に使ったのだろう。昭和8年頃に来た版画家棟方志功の挿絵には「牛にのぞかれながら牛乳ブロに入っているところ」がおかしく描かれている。戦争の影響で酪農は一時衰退したが、今も大島牛乳や牛乳煎餅が好評を得ている。何故大島で牛飼いが成功したのか、餌となる茅(かや)やアシタボ、さつまいもなどが沢山あり、オマケに海から飛んで来る『潮のしぶき』が作物について適度な塩気も摂取でき、島人が大事に育てたせいだと伝えられている。病弱や結核療養で大島に来た画家たちも牛乳ブロやミルクを飲んで元気をもらった、そういう紀行記も残っている。質問の答えは、「牛乳風呂は旅館の入浴サービスで昭和はじめから昭和20年頃まで行なわれていた」だ。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
もっと見る