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カテゴリ:大島を描いた画家や文人
私は伊豆大島に住んでいます。
明治後期から戦前くらいまでにかけて多くの文人や画家たちが大島を訪れて作品を残しています。 私の興味は、なぜ大島まで来たのか、そして何を書いた(描いた)のかということです。 作品は残していても来島の動機や心情を知ることはなかなかできませんが、もう20年以上調査を続けています。 調査を初めた頃は、まさかこんなに多くの作品を確認することになろうとは思ってもいませんでした。 詩歌145名、小説21名、随筆・紀行記約80名、画家の作品や紀行記179名 ほとんどコピーですがこれだけのデーターが集まっています。 大島町では平成28年度から大島を題材とした作品集「伊豆大島文学・紀行集」をシリーズ化して毎年1冊づつ発行する事業を始めています。第1巻「詩歌編」(既刊)第2巻「小説編」第3巻「随筆・紀行記編」第4巻「画家編」をまとめ、平成31年度でシリーズが完結する予定です。私は大島町から委託されて編集委員をしています。 うまくまとめることができれば、大島町に限らず「文人墨客の財産(宝物)」にすることができると思っています。 その作業を続ける中で「幻の画家不染鉄の作品展」を今夏に見ることができ、大いに刺激を受けているところです。 伊豆大島岡田村に3年暮らし、その後京都に移り住むと「大島を回想するように多くの絵を描いた」そういう作品が展覧会には並んでいます。はじめて大きな賞を受けた「海村」(大正12年発表)は長く原画の存在が不明でしたが、この展覧会をきっかけに発見されました。 詳しくは知りませんが、その絵の資料には 「・・何處にも落付いて住む所のなくなった自分は體の弱い病上りの家内を連れて、話には聞いたが見た事のない大嶌へ行く事になった。袷のはだざはりは秋風の身にしみる時分だった。帯を持たない家内は座蒲團の皮をはいで作った小さい帯をしめた。安いけれど新しい日より下駄をうれしそーにはいた。三十円余りの金と村山からもらった差木地への紹介状とを大事にシャツのかくしへ入れていた。夜の八時頃出帆した。知らない土地と少ない金は不安だったが、海や山や椿や日向を思ひ明るい希望にうれしかった。途中夜中頃から海が荒れ。雨さへ降りだした。未明に岡田村へ着いた。・・・」と書かれているそうです。 「海村」の原画の発見、なぜ大島に来ることになったのか、大島へ行ってみればとアドバイスをして島の南部にある差木地を紹介したのが大島に2度やってきたことがある村山槐多(カイタ)であったこと、などが明らかになりました、私にはとてもうれしい出来事です。 本日8月26日の東京ステーションギャラリーのフェースブックに記事が載っています。(リンクを貼れませんでした、あしからず) 「忘れられた画家」とか「幻の画家」と呼ばれた「画家不染鉄」はこれからは何と呼ばれる画家になるのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年08月26日 13時01分29秒
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